2011年4月30日土曜日

なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?

昨日書いた内容で、一番肝心な点は、診断は治療のために必要である、ということであった。もちろん診断は治療のため以外になされることもある。そもそも精神の異常にはどのようなものがあるかについて純粋に研究し、分類する立場があってもよいし、かつての精神医学は治療に関しては非常に悲観的であったから、診断とは一種の博物学的な興味とも繋がっていた。
しかし現在の精神医学では、特に薬物療法の発展とともに、多くの精神障害が治療により改善される可能性がでてきているのである。
ここで余談であるが、現代の診断が治療とより結びつく一方では、かえって結びつきを弱めているものがある。それが病因である。といっても昔は病因が明らかだった精神障害が、不明になってきた、といっているわけではもちろんない。以前は安易に原因を追求し、またそれを突き止めたことになっていたような精神障害について、実はそれが極めて多くのファクターが原因となっており、安易に一義的な原因を突き止めることは出来ないという理解が深まりつつあるのである。
何しろ統合失調症 schizophrenia の原因として、「統合失調症を生む母親 schizophrenogenic mother」 という概念がまかり通っていたのは、まだ半世紀しか前の話ではない。DSM-IIIやDSM-IVはその原因を問わないという姿勢において首尾一貫し、それだけに批判も集めていたが、原因を問わない、という診断基準がそれでもこれだけ使用に耐えていることは、上述の病因と診断との乖離を反映しているのである。
診断が治療と深く結びついているというのは、例えば薬物療法を考えた場合には歴然としている。抑うつ症状を示す患者に抗うつ剤を投与する場合、その患者が単極生のうつ病の診断を持つか、双極性障害を持つかは、薬物を用いる際の心構えや用心すべき点を考える上で非常に重要である。いうまでもなく抗うつ剤の副作用としての躁転をここでは意味しているのだ。米国では双極性障害の人には抗うつ剤は禁忌である、とさえ言う精神科もいるほどである。

30分面接の時間配分


ここで本来のテーマに戻り、30分の診断面接の構造について考えてみたい。
まずは最初の15分である。この時間は、患者の原病歴のあらましを描き出すことに全力が注がれる。
最初の3~5分。この時間はまずラポールの形成に用いられなくてはならない。有効な情報の聴取は、よりよいラポールの形成の上になされる。出会いの最初はまず患者を笑顔で迎え入れ、座るべき場所を示し、来談したことへの敬意を表する。この面接が30分であり、いろいろ質問に答えていただくことになることを伝え、了解していただく。ここで丁寧に「おっしゃりたくないことならお答えにならなくてもいい」と付け加えてもいいだろう。
この最初の段階で基本的データの収集を行うという方針もありうる。患者の年齢、居住環境、職業の有無、婚姻歴などは、いずれは聴取しなくてはならない重要な情報である以上、最初にチェック項目のようにして聞いてしまうのも悪くはない。ただしそれもラポール形成の上である。患者の側が「いきなり個人的なことを根掘り葉掘り聞かれてはたまらない」と感じてしまうようでは、面接はよい滑り出しを得たとは決していえないのだ。
最初の5分の残りの部分は、米国の面接法の講義などでは、できるだけオープンクエスチョンを与えて患者の話し方の様子を伺うべし、とある。これは正しい示唆であるといえる。30分面接は、これから終わりになるに従って、ますます構造化されていく。とすれば最初は柔らかく始め、患者が自由な表現の機会をどのように用いるかを知ることには意義が多い。ただしそれでもそのオープンクエスチョンとして選ぶのは、それだけの価値のあるものをお勧めする。それは端的に「今一番来談の理由とすべき事柄は何か?」「一番困っていることは何か?」といった、主訴に繋がる質問である。