2011年2月18日金曜日

うつ病再考 その(11)結論

結構引き伸ばしてきた「うつ病再考」であるが、やはりたいしたアイデアは浮かばなかった。「新型うつ病の本質に迫る」はやはり、竜頭蛇尾、羊頭狗肉であった。それは認める。しかしそんなに簡単に本質に迫れるものだろうか。新型うつ病で本を書いている人に悪いではないか。以下に述べるのはこの一連のテーマを終えるにあたってのまとめというよりは、感想、雑感である。
まず「新型うつ病」という言い方は正しくないだろう。というのはこのタイプのうつ病は、従来からあったからだ。従来「抑うつ神経症」と呼ばれたり、DSMでは「非定型」と呼ばれたものがこれに相当する。これについては、過去のブログ(シリーズ「怠け病」はあるのか? その7 12月14日)で記載したので、少し抜粋する(スペース稼ぎでは決してない)。
「うつには、メランコリー型と、非定型が分類されている。DSMの今のスタイルはDSM-Ⅲに始まるから、1980年以来、つまりもう30年も前からこの分類があることになる。新型うつ病は、特に「新しい」タイプのうつということでもないのだ。メランコリー型とは、典型的なうつの性質を備えたもの。朝特に憂うつな気分であり、夕方に向かって気分が上向いていく。食欲がなくなり、夜も眠れない、といった点が特徴だ。正真正銘のうつ。誰もこちらのうつになった人を見て「あなた本当にうつ?」とは聞かないだろう。それに比べて非定型の欝は、 過食、過眠が特徴である上に、rejection sensitivity という特徴がある。日本語にすると「見捨てられ過敏性」というわけだが、つまり人に拒否されたり見捨てられたりすることに敏感で、グーッと気分が落ち込んでくるのである。こちらが、怠け病と一緒にされる。「うつになりました」、といいながらグーグー寝てよく食べて、人にシカトされると落ち込み、声をかけてもらえると気分を直すという人は、なかなか本物のうつをやんでいる人として同情されないだろう。」
実はこの非定型なうつは、昔は「抑うつ神経症」と呼ばれていたものだという人が多い。つまりは性格によるうつ、と見られていたという歴史がある。「あの人のうつは、本当のうつというよりは、すぐ傷ついて落ち込みやすい性格の問題だから」、といわれるような、うつモドキと考えられていたということだ。ということは、新型は決して新型ではないということだ。動物だって、すでに30年前から図鑑に載っていたがあまり注目されていない種が、最近目立ってきたからといって、それを「新種」とすることは出来ない。 しかし「非定型うつ」がなぜ、あたかも急に広まってきたように見えたのか。それには理屈上2つの可能性がある。

① 実際に「非定型のうつ」を病む人が増えてきた。
②「非定型のうつ」を有する人が、それだけ多く診断されるようになった。

さてここからは、私の想像であるが、根拠がないわけではない。アスペルガーの人がどうしてこんなに増えてきたのか?多重人格がどうしてふえてきたのか?ボーダーラインが増えてきたのは? ADHDがなぜ?・・・・。これらはすべて過去30年に議論されているが、これらについていえるのは、おそらく①,②の両方であるということだ。多分「非定型」の場合もそうなのだろう。
私は個人的には、そのうち②の影響が大きいように思う。なぜなら、まずSSRIの使用が多くなっているのだ。内科の先生もどんどん出すようになっている。当然うつ病と診断される人の数も多くなっている。数が多いということは、軽症も診断するということだ。ということは・・・・。
私は「結構昔もこんな人が社会のどこかに隠れていたんだろう。」という議論が好きだ。とにかく昔はいろいろなことがイーカゲンだった。町は野良犬にあふれていた。私が一時属していた高校のサッカー部の部室には、野良犬がいつも数匹住んでいた。部室の奥で、犬が出産したこともある。誰も綱をつけろ、ということは言わなかった。また昔は皆バイクをイーカゲンに止めていた。何もかもが適当に、イー加減に、注意を向けられたり取り締まられたりすることなく存在していた。
同じように、仕事場で落ち込んで、「もういきたくねー」となった会社員は、昔から結構いたのだろう。出社しても社にいたくなくて、仕事時間中に抜け出して近くのパチンコ屋にばかり行っていて上司に怒られた、なんて人もいたはずだ。(タイムカードなどなかったころはそうだっただろう。)規則にそぐわない人たちがそれでも許容され、社会に受け入れられていたのだと思う。
私は「最近の社会人は未熟だ」から「怠け方、甘え型のうつが広がった」と考えるよりは少しすっきりする。というのも「近頃の若い者は・・・」という議論は昔からいつの時代もあったのだ。それほど若い者が難題にもわたって未熟になっていたら、おそらく現代人は江戸時代や奈良時代、縄文時代の人間よりよほど未熟でだらしなく、甘ったれと言うことになるだろう。
ただしそれでも説明できないのは、いわゆる退却型の人々の増加である。少なくとも引きこもりの増加は確からしい。これは別問題という気がする。引きこもりといわれている人々の一部はむしろ恐怖症と理解できるという可能性についてはすでに述べた。つかり彼らを社会から遠ざけて自室に追いやるのは、怠けではなく、一種の不安であり恐怖であるという捉え方だ。しかし彼らを自室へと吸引しているものとしてネット社会の影響があるのではないか。単純な発想ではあるが。バーチャルな世界が面白くなりすぎて、「リアルな世界の充実」を求めなくなっているとしたら、これは人類が直面した新たな問題といえる。コンピューターやケータイでのゲームというのは人類がかつて経験したことのない現象だから、それが人間の脳や社会的な行動のパターンにどのような影響を与えているかは未知数である。「非定型」「新型うつ病」と呼ばれるものの存在を支えるものの一部は、これなのではないか、とも考える。

ということでよくわからない形で、このシリーズを終わる。