今日もまた暑・・・・。とうとう告白する。… 冬が待ち遠しい。
昨日報道された、「私は今日生まれた」と言っていたと言われる女性。凶器を持ったまま歩いていたというが、精神科的には非常に気になるケースである・・・・。
昨日菅さんと立会演説会を開いた小沢さんの映像を見た。あれほどエネルギッシュに聴衆に訴えている彼を見たのは初めてだ。今小沢さんは非常に活き活きとしている。のりに乗っている・・・・ように見える。先日、私は「小沢さんは滑舌が悪い」、などと書いてしまったが、訂正しなくてはならない。まったく心臓の持病が嘘のようだ。そして、こう言っては何だが、このエネルギーが、日常的には様々な政治的裏工作や、権謀術数を振るうことに使われているのだと思う。そして菅さんによって今表舞台に出て自己表現することに、そのエネルギーが使われているのだ。(という仮説にしたがっている。)
小沢さんは、実際の敵の存在により燃え上がる、というタイプなのだろう。昔だったらさぞ立派な武将だったろう。口下手で、でもいざとなったらとことん戦うという感じの。でも、たとえばオバマさんと対峙して、きちんと話ができるのは小沢さんくらいしかいないのかもしれないとも思う。日本がアメリカに原爆を落とされたという大変な過去だけは決して忘れない、というその意味でのプライドを保った日本の政治家は、果たしているのだろうか?
やっと本題。婚姻関係の取る様々な形式について。大げさな割には中身はたいしたことはなかったりして。同じ夫婦といっても、その生活形態は、驚くべきほどさまざまであるということを書きたいのだが、なんだか当たり前の気がしてきた。まあ続けよう。おそらく夫婦の関係性は千差万別で、それこそ「共通点としては夫婦という関係を継続しているということだけ」とさえ言えるほどなのだ。
臨床で患者さんの話を聞き、周囲の様々な人たちの例を聞くにつけ、非常に印象深いことがある。少なくとも日本では、夫婦の共同生活は実に様々な形をとって落ち着いているということである。アメリカなら、とうに離婚になって不思議ではないカップルが、日本にはたくさんいる。大概は男性の側が勝手な行動をしていて、女性のほうが我慢している、というか適応している。でもまれに奥さんのほうが相当変わっていたりする。その際の男性の側の寛容さ(鈍感さ?)も驚くべきものがある。
ともかくも夫婦というのはまったく異なる二人の人間の関係性であり、その二人が夫婦というせまい枠組みに納まる際に、お互いが何とか居心地のよいポーズや位置関係をとるわけだが、そのポーズがケースごとにまったく違った体勢が見られるだろうということだ。あるケースでは旦那さんが大の字になっていて、奥さんが住みに縮こまっているとか、その逆とか。何しろ最近では、(夫婦、ではなく親子で、であるが)片方が120歳以上で、しかも白骨化している場合もあるのだ。
比較的よくあるケースで私にとって意外なのは、夫婦が長く別居をし、しかも離婚をしないというケースである。子供がいないというケースなら珍しくないかもしれないが、ご主人が独居、しかもその居場所さえ知らないというケースもまれならずある。はるか昔に体験したから少し書けるが、こういうケースがあった。
ある当時中年の男性の患者さんに、主治医として、月に一度ほど会っていた。ある日、その奥さんから電話があった。「夫がどうしているか教えていただけますか?」というのだ。どうやら家に長いこと帰っていなく、ただ私のところに定期的にかかっているということは知っているので、散々躊躇した末に連絡をしてきたという。
事情を聞いてみると、夫はずいぶん前から会社の近くにあるというアパートを借りて、週末時々姿を見せるだけになっているという。最初は仕事で帰りが遅くなり、そこで泊まってまた出勤するということが多く、そのために借りたアパートだが、最近ウィークデイに帰ることはなく、また徐々に週末に帰る時間も短くなってきているという。しかしそれでも生活費はしっかり入れているという。驚くのは、夫と顔を週に一度は合わせているというのだ。そこで「どうしてご主人に直接聞かないのですか」、というと「聞くと怒るから」一切聞けないというのである。さらに驚いたのは、その会社に近いアパート、というのが実は自宅からも会社からもはるかに遠い、というのである。
傍目から見れば理不尽な話でも、夫婦の間では一方が強く主張すると、まるでそれが法律のように二人を支配するようになる。「あることに触れると、相手が怒る」というのはそれだけで、その「あること」をタブーに仕立て上げることになるのだ。するとそれを破ったほうは、一方的に悪いことになる。結局このケースでは奥さんは、月に一度しか会わない主治医の私に、「夫の様子」を尋ねに電話をして来たわけだ。もちろん私がすんなり「様子」を伝えられる立場にはなかったことはお分かりだろう。
結局人間は長く暮らしていくうちに、それぞれが持続可能なライフスタイルを確立し、その中で婚姻を続けるということだ。今のケースでは夫は家族を持ち、生活費を入れ、そしてひとりで生活することをもっとも快適と考えている。そして家族はそれに耐えている。それでとりあえず安定はしているが、奥さんは相当の苦しみを味わいつつも、とりあえずは安定を保っているわけだ。
私自身も自分の睡眠パターンでは、家族に迷惑をかけている。私の場合は夜の睡眠が3回くらいに分かれるという状態が独身のころから続いている。一回に睡眠のサイクルをひとつ、ないし二つで目が覚め、すると起きて活動しないではいられない。(ご存知のとおり、睡眠の一サイクルとは、70分から90分の間に、深睡眠まで下りていき、夢を見ておわる。)するとたとえば原稿を書き始めて30分もしないうちに眠気が襲ってくる。そのままベッドに倒れこんでまた1,2時間眠る(実はこのときが結構気持ちいい)ということをくりかえす。こうなると同居する人間はたまったものではない。神さん(変換ミスではない)は就寝時間を守り、きっちりまとまった睡眠をとらないと次の日一日を棒に振ってしまうタイプ、しかも昼寝を少しでもしたら頭痛がしてくるというので、私とは真逆である。(私は昼寝は、状況が許せばいつでもOKである。)こうなると寝室を分けるということは夫婦が暮らす上で必要条件になる。
もちろん神さんも最初は私の変則的な睡眠パターンに不満があったらしいが、今では私に何度も夜中に音をたてられるよりは、安眠のほうを選んでいるというわけである。