2026年6月15日月曜日

土居先生と精神分析 4

 基本的な一致というよりも、基本的結合の体験である

 ところで十分な愛着形成により成就するのは、基本的な一致 unity ではなく、基本的な結合 union であるという土居先生の理論はよくわかる。前者は母子一体という体験。そもそも分離が出来ていない。というよりそれ以前の状態の話だ。それに比べて後者の場合は母子分離が成立しているのが前提となる。なかなか説得力のある理論概念だし、似たようなバージョンは色々提案されている。私の印象ではラカンの考えも想像界から象徴界へといった流れはこの路線だ。しかしこの話、どこまで理にかなっているのであろうか。この機会に少しじっくり考えてみよう。
 先ず一致に関しては、そもそも赤ん坊が自他の分離のないところから出発しているというのは脳科学的にみてその通りだろう。分離とか区別別に関して働く左脳は、生下時にはまだ機能していない。右脳優位の体験はそもそも自他未分化の世界だ。そして母子の右脳どうしの同調が始まる。そこでは生理学的、内分泌学的な同期と共に脳波の同期化も起きているというのが Schore らの見解でもある。そして治療者との間でもそれが生じることで、患者は母子一致に似た体験を想起するかもしれない。しかしもちろん母子一致は土居の言うように幻覚的にしか体験されないというわけだが、むしろ私の言い方では「バーチャルに体験される」のではないかという仮説が生まれるのだ。Winnicott の言い方だとそれは幻想ということになり、Freud がそもそもそのようなことを言った。同一化の議論を始めた Freud は同一化を、外的な対象が取り込まれてそれと一体になるプロセスと考えたのだ。そして彼の言う primary identification は幻覚的な欲求充足に結びついたものであろう。
 ちなみにWinnicott のもとの文章をここに採録しておく。

「まだ一度も授乳を経験したことのない赤ん坊を想像してみよう。空腹感が生まれ赤ん坊は何かを思おうとしているところである。赤ん坊はニードから満足の源を想像する用意がある。だがしかし,そこで何が期待できるかを赤ん坊に示すための体験がまだない。もしこの瞬間に母親が赤ん坊が何かを期待しかけているところへ彼女の乳房を置いてやるなら,そしてその子に十分な時間が与えられ、匂いの感覚とともに,口や手であちこち触りつくせるなら,赤ん坊はちょうどそこに見つけられたものを‘創造’したのである。ついに赤ん坊は,現実の乳房がまさしくニードと貪欲さそして原初的な愛の最初の衝動から創り出されたものであるという錯覚を得る」(Winnicott, 1964,p.90)(錯覚と脱錯覚、北山 P120  Winnicott, DW ( 1964) The Child, the Family, and the Outside World. Penguin Books.