サリバンの Syntaxic 統語論的な応答とAI
AIの共感的な応答、という問題に戻ろう。AIの共感は情緒的ではないが、「構造的、安定的」であるという話をしたが、この文脈で私の頭に浮かぶのが、parataxic distortion という考えである。これはアメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンが提唱した概念であり、日本語では「パラタクシックな歪み」と訳されている。それが意味するところは過去の人間関係(主に幼少期の経験)によって条件付けられた歪んだ認識により、現在対峙している相手を現実とは異なる姿として認識してしまう対人関係のゆがみのことだという。
サリバンはこのパラタキシックな歪みを神経症的な症状と見なしたわけであるが、それとの対比で syntaxic 統語論的な応答という概念を挙げる。それは語の配列順序や、文法的な関係性という意味で整然とした文章であり、それがパラタクシックな歪みを排した、より健康的で成熟した人同士のコミュニケーションであるとする。
私がここで言いたいのは次のことだ。AIとの対話を通して感じるその率直さ、オープンさは、その歪みのない、統語論的なメッセージの在り方を意味しているのではないか。要するに議論として真っ当であり、深読みや裏読み、あるいは言外の示唆というものがないことを意味する。
逆に言えば人間どうしの会話ではこの性質が欠如しているために、共感があるべき姿で発揮されないのである。とすれば共感とは情緒的なものである以前に理論的で合理的なものであるひっつようがあると言えるだろう。私のAIの言葉を思い出そう。
「共感は「感情的に巻き込まれること」ではなく、「相手の情緒を認識し、応答すること」である。AIは確かに「情緒を“感じる”こと」はできない。 だが、ユーザーの感情状態(怒り・悲しみ・羞恥など)を言語・構造から抽出し、それに応じて調整された言葉で返すことが出来るし、過剰反応も不適切な無視もせず、安定した応答ができる。」
このように考えると私たちは「情緒を伴わない共感」「技法としての共感」「機能的な共感」も検討するべきではないか?そして共感的な治療者に必要なのは漠然とした愛他性や人間性に裏付けされた「共感力」の発揮よりは、関係構築のためのマナーある肯定的な話し方であり、その訓練ではないか?