2026年2月23日月曜日

バウンダリーについて 14

 ここでこれまでの論点を少しまとめてみよう。チャット君によるとリンド論文で問題視されたのは以下のいくつかである。

● 大学生サンプル(college samples)中心の研究をメタ分析しており、「重症で大学に進学できないケースが抜けるのでは」という代表性バイアスの批判が強い。
● 結果の解釈や定義(“child sexual abuse” の扱い)が不適切では、という方法論批判が多数。
● 反応が非常に政治化し、米国議会がこの論文を非難するという異例の展開まで起きた、という点が「事件」扱いされた。この論文は成人—未成年の性的関係を擁護する根拠として扱われ得ること自体が大きな問題で、批判側は「研究設計上の限界と社会的悪用リスク」を強く指摘している。

要するにこの問題は政治と学問の微妙な関係を浮き彫りにしているという事だ。あるいは時の権力構造と学問の関係にもなぞらえることができるだろうか。うんとわかり易い例を用いよう。
最近までダーウィンの進化論が受け入れられ、「獲得形質は遺伝しない」は常識であった。とにかく学会の権威達が作っている派閥がそう言っている(という設定にしよう)。ところがある研究論文が発表され、その内容は、ラマルク説を蒸し返すようなものであった。つまり「木の実を食べてばかりいた牛の子供の首が長くなった」という内容だったのである。するとダーウィン派の権威たちは、その研究の内容について批判するのではなく、そのような論文自体の存在を否定し、「そもそもなんでこんなトンデモない論文を掲載するのだ!怪しからん!」とその学術誌を責めることとなった。「反主流派(非ダーウィン派)の学者たちがこれを自分たちの理論を擁護するものとして利用するではないか」というわけである。(結構考えて作った比喩だが、読み返しても出来の悪い比喩だ。まあいいか。
この背後には「獲得形質が遺伝しない」とばかりは言えない、いわゆるエピジェネティックスの問題が最近注目されるようになったという事情がある。要するに環境の影響が、子に残す遺伝子に反映されてしまうという事実が明らかになってきている。進化論や遺伝学上の本質に迫る問題であり、実際にはエピジェネティックスの議論がバッシングに遭っているという話は聞いたことがないので、あくまでも架空の話である。)  とにかく問題はある学術研究が、学問的な扱いを受けるのではなく、ある種の「不都合な真実」的な扱いを受けていることがあるのである。言い換えれば、学問的な問題はいつ政治的な色彩を帯びてもおかしくない、という事か。そして境界侵犯の問題もまさにそうである。
 一昔前だが、米国のMBAのどこかのチームの監督が、「黒人は身体能力に優れている」という趣旨の発言を行ったところ、アメリカで大問題になった。日本でこの話を聞いてもにわかにピンとこないであろうが、要するに「その発言は『黒人は身体能力以外では劣っている』という事を匂わせているのではないか。それは人種差別である!」となるのである。そしてもちろんここにはアメリカという国民性も大きく影響している。
 連想は続くが、「翔んで埼玉」という映画を思い出す。ネット記事から。
「『埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!』――。埼玉県をけなした過激なセリフや設定で注目を集めたコメディー映画「翔んで埼玉」に出てくるセリフにちなみ、「そこらへんの草天丼」を春日部市の地元スーパーが商品化し、連日完売となっている。」(読売新聞オンライン 2021・5・17)
 
 何と日本人(埼玉県人?)の鷹揚なことか。同じような映画を米国で作ったらどうなるのだろう? ある州に関してあからさまにディスる内容の映画を作ったら、その州では大騒ぎになるのではないか。