2021年11月4日木曜日

解離における他者性 34

  しかし皆さんはここで単純な疑問を抱くのではないか?どうしてABは同時に「オン」にならないのだろうか。A,Bとは異なる他の誰かがそうならないようにコントロールしているのだろうか。あるいはAがオンの時にBが必ずオフになるという保証はあるのだろうか。


皆さんはチェスクロックというのを御存じだろう。チェスや将棋で対戦者が持ち時間を持っている場合、考慮時間が刻々と使われていく。考慮している間は自分の側の時計が動き、相手の考慮の番になると自分の側の時計は止まり、こんどは相手の時計が動きだす。この装置はうまく出来ていて、一方が動くときは他方が止まるようなスイッチを持っているのだ。先ほどの図ではあたかもこのような特殊なスイッチが存在するかのように、ABが交代することを想定している。しかし、では心のどこの部分がこの「スイッチ」の役割を担当するのだろうか?AB以外のどこか、であろうか?

ここで二つの意見が分かれることになる。

1.きっと心のどこかにスイッチングをつかさどる中枢部分があるはずだ。

2.心にそのようなスイッチングをつかさどる中枢部分などない。

 さしあたってこの二つの意見以外にあまり可能性はないようである。
 読者はこの両者の違いにそれほどこだわらないかも知れない。しかしこれは非常に重要な違いを意味するのである。

1.を考えた場合、次のような疑問が生じてもおかしくない。A,Bのスイッチングが意図的だとしたら、そこにはCというもう一つの意識の存在を考えなくてはならないのではないか。すると今度はA,B,Cの三つの間のスイッチングをつかさどるDという意識を考えなくてはならなくなり、歯止めが効かなくなる。これは脳の中に意識を持った小人を次々と考え続ける、いわゆる「ホモンクルス問題」に類似してくるが、これはどうもいただけない。そこで解離のスイッチングを考える時に、ABが自然におこるという考えを持っている人が多いであろう。

ただしこの2の状態を想定する場合、私たちは大きな飛躍をしなくても済む。それはABが交互に「オン」になったとしても、それは心が一つであるという前提は消えないからだ。ところが臨床的な事実に即した場合、ここに私たちが想定していなかったことが起きる。それはA.Bが同時に「オン」であり、覚醒しているという事態である。