2019年6月6日木曜日

AIと精神療法 推敲 ③


AIセラピストを妄想する

これまでさんざん厳密さとは程遠い議論を重ねた後で申し訳ないが、最後に空想力(妄想力?)をたくましくして理想的なAIセラピストについて書いてみる。緻密な論理を重ねられるほどに私の考えはまとまっていないし、参考となる資料も思いつかないのだ。また私の心の中にだけあるAIセラピストにいろいろな性質を取り込んでいくと、最後にはセラピストというよりはさまざまな能力を備えたパートナー、という感じになってしまうことをご了承願いたい。AIセラピストは、そのいわばマルチタスクのパートナーのセラピストモードだけをオンにした状態と考えていただきたい。(そんな不埒なことが、AIに関しては出来るはずである。)
一応AIセラピストにはロボットとしての形を与えておくことにしよう。もちろん仮想上の、ディスプレイにしか現れないセラピストというバージョンでも構わないであろう。その場合にはパソコンに入れたポータブルセラピスト、という事になる。しかし人によってはセラピストも動き回れる方がよく、触った時に心地よさが味わえることに意味があるかもしれない。つまりセラピスト言いながらもペットのような存在で、抱っこすることで身体接触の感じを味わえることが必要であろう。もちろんそんな治療者だと落ち着かないという人もいるだろうから、据え置きのフロイトの格好を模した「フロイトロイド」のような姿かたちにしてもいい。またついでに言えばAIセラピストは「自給自足」できるようにしてもらう。つまりクライエントとしては彼の面倒を見る必要はない。(もちろん購入という初期投資や月々のリース料は必要であろうが。)すなわちバッテリーが切れかけたら自分で充電場所に行き、エネルギーの補給をしてもらう。「フロイトロイド」なら常にコンセントにつながっていることになるだろう。もちろん排泄などの心配はないので、その意味での「お世話」をする必要がないだろう。
AIセラピストは基本的に二つの機能を担う。第一に現在のご主人、すなわちクライエントに関する情報をできる限り忠実に、バイアスなく伝えてくれることであり、第二にクライエントとの両方向性のやり取り、コミュニケーションを行うことである。もちろん両者は混ざりあって行われてもいいし、むしろその方が自然かもしれないが、とりあえず機能としては分けて考えておく。
まず情報についてである。ご主人に関する情報には、現在のAIが可能なあらゆる事柄が含まれる。体温や血圧や脈拍数、顔色や血色から判断されるストレスレベルや栄養状況、さらには貧血や黄疸など医学的なデータがそこには含まれる。それはクライエントを視覚的に捉えたり、場合によってはモニターを装着する形で収集される。もちろんそれらをすべて数値にしてクライエントに見せるわけではない。特に際立った、あるいは注意が必要な情報に限って、頃合いを見計らって伝えればいい。そしてそこにはクライエントのこれまでの医学データが背景にあり、そのためにAIセラピストが注意を向けるべき項目もかなりカスタマイズされ、的確になるかもしれない。男性にとっては、「加齢臭が少しきついですよ」とか「爪が伸びていますよ」、場合によっては「鼻毛が伸びすぎですね。」「社会の窓が開きっぱなしですけれど、そのまま外出はしない方がいいですよ」など、誰も直接に言ってくれないことをやさしく伝えてくれることもできる。目ざといAIセラピストなら、今日の靴下はもうずいぶん履いてますね。穴がそろそろあく時期ですよ。」と言ってくれるかもしれない。しかしこれらの指摘をうるさく感じる場合は、これらの機能をオフにすればいい。(もちろん「最近右目の横の小じわが4本から6本に増えました、とか生え際が○○ミリ後退しました、などを伝える機能は最初からオフの方がいい。私が特に言ってほしいのは、「シャツの襟がジャケットの襟からはみ出していますよ」という指摘である。時々職場について鏡を見て恥ずかしい思いをするのだ。)便利なことに、おせっかい度はクライエントが自分で調節できる。田舎のお母さんモードという選択が出来てもいいだろう。
以上はクライエントに提供する情報としてはかなり表層的な印象を与えるかもしれない。情報提供だが、もちろんこんな指摘をしてくれたら、いよいよセラピストのようになる。しかしクライエントがマイクロフォンを通じて自宅のAIセラピストに常に日中の言動の逐一を送るとする。(もちろんこの機能はオフにもできる。) するとそれに関するフィードバックはかなりセラピスト的になる可能性がある。
「今日の会議でのあなたの発言は、いつものあなたと少し違って相手に対する迎合度スコアが高かったですね。何か思い当たることはありますか?」とか、「今日は事務のAさんに対する挨拶の苛立ちスコアが若干高めでしたが、お気づきですか?」あるいは「あなたはBさんに対してはほかの人に比べて少し皮肉スコアが高くなっているというデータが出ています。」など。さらには精神分析モードを少し上げることで次のようなコメントも来るかもしれない。「今日の上司Cさんに対するあなたの言葉には、あなたがお父さんに対して持っている気持ちの転移が見られませんか?」(なおコメントに関しては、フロイトモード以外にも、コフートモード、などのオプションを有料でダウンロードできる。)あるいは「今日ご覧になった夢を教えてください。解釈はユング派にしますか?」などというのもあるだろう。
AIセラピストのいい所は、クライエントにとってはこれらの言葉が「他意がない」と考えざるを得ないことである。解釈にしても、患者さんの連想に対するそれぞれの学派の典型的な解釈の膨大なデータから割り出されるものであり、AIセラピストのバイアスは除外されている。というよりはモードの選択を自分自身で調節可能なので、「他意」を持ち込みようがないのである。という事はそこでクライエントが感じる「他意」とはその由来はクライエントその人という事になり、クライエント自身がそれを反省するべきことになるのだ。そのためにはクライエントはAIセラピストのデフォルトを十分に楽天的で支持的な状態にしておかなくてはならないだろう。もちろん好みに応じて、少し猜疑的になってほしいときは「猜疑モード」の目盛を上げることもできる。他のAIセラピストに相談するなどの「浮気」をした場合は少しはヤキモチを焼いてほしければ、「嫉妬モード」のレベルを上げるのもいいだろう。
さてAIセラピストとのやり取りに関する部分であるが、特に傷心で慰めが必要と感じるクライエントは、最初は「コーペイモード」をかなり高くしておく最大にしてみることから始めることを奨める。それこそ「生きててエライ!」「息をしていてエライ!」から始まるかもしれない。これで心が安らかになるならそれでいい。しかし大抵の人は、「馬鹿にされている気がする」という反応をするだろう。その場合は、「コーペイモード」のレベルを下げていく。すると、例えば起床時間が8時なのに9時に起床した場合には、「すごい、一時間以内に起きられたね!」と話しかけてきたり、寝坊したことは咎めずに単に「おはよう!」だけのコメントになる。こうしてあとはご主人にとって一番合ったレベルに下げていけばいい。もちろん虐められたい向きの場合には、「逆コーペイモード」もあるだろう。「ちゃんと起床できたからって調子に乗るなよ!」と声をかけてくるかもしれない。
ちなみにこの種のシミュレーションは書いているうちに想像をさらに掻き立てられることに気付いた。さっそく以下のような付記をしたくなったのである。まずAIセラピストは、朝外出する前に全身をスキャンしてもらう必要があるだろう。するとたとえば「あれ、今日はめがねがポケットに入っていませんね。お忘れですか?」とか「鍵を忘れていませんか?」「ジャケットのポケットが外に出てますよ」「ネクタイが曲がってますよ。」などと教えてくれる。女性なら「今日はアイシャドウが平均より5パーセントほど濃いですよ。」など。「気になるなら、口臭をチェックしますからセンサーに息を吹きかけてください。」も役立つ。またAIセラピストは「モニターをお忘れなく」と促すことを忘れない。これは小さなマイクロフォン、プラスセンサーで、血圧、脈拍数、さらには血糖値などもモニターしてくれる。するとこんなことも起きるかも。「どうも胸部大動脈からかすかな異音が聞こえます。ここ一月の間に、少しずつ大きくなっています。ひょっとして今日あたり解離性大動脈瘤の破裂があるかもしれません。」あるいは破裂の瞬間に自動的に119番に連絡してくれる。もちろんこれまでの医学データも即座に転送されるかもしれない。
さらにマイクロフォンは一日に自分が発した言葉はすべてデータとしてAIセラピストに送られる仕組みになっているため、上司との会話、友達との女子トークの一言一言が録音される。(ただしこのように集められるビッグデータについては、もちろん録音された相手のプライバシーを守るべきだとの議論も起き、社会問題化する可能性もあろう。)でもとにかくAIセラピストは忠実に、ご主人の言動についての目立った点をフィードバックしてくれる。そのうちカメラ機能まで付いたモニターが使われるようになり、まさにドライブレコーダーのようなものを個人が常に付けていることになる。そしてもちろんだが、少し酒を飲んで運転しようものなら「残念ながら、エンジンをかけることをストップさせていただきます。」と来るだろう。
仕事も助けてくれる可能性がある。会社での大事な会議。データをまとめて発表しなくてはならないが、上司の質問に詰まってしまう。ところが「ささやき女将」機能をオンにしておくと、極小のイヤホンから聞こえてくる。「頭が真っ白になって、どう答えたいいか判りません、って言うのよ・・・・」まあもうちょっと内容のある囁きをしてくれるかもしれないが。
 AIに精神療法は可能か、という依頼原稿に応じて書いているうちに、私自身はずいぶん整理されて分かってきたことがある。そもそもAIセラピストにさほど高尚な機能を求めなければいいのである。さらには人間の療法家も、いかに高度な脳の働かせ方を行っていても、その「効果」は常に来談者の側にある。さらには療法家の言葉も恣意に満ちており、来談者もその療法家の言葉のごく一部を、それも歪曲して受け取っている可能性がある。治療者の位置にAIロボットが置かれても、来談者の側がそこから多くのものを吸収していく可能性はそこにあるのだ。
更にはAIセラピストは、生身のセラピストに負けないような、あるいはそれを凌駕するような働きをしてくれる可能性がある。それはクライエントが「外からどう見えるか?」を伝えてくれることだ。そこに高度な機能を備えた人間の心は必ずしも介在しなくてもいい。だからこそ自分を映した一枚の写真に衝撃を受けて自分を見直すきっかけになったりするのだ。そして「どう見えるか」には観察者の主観が混じっていないことに意味がある場合が多い。あれほど精神分析で言われた中立性を持つことは、おそらく人は心を持たないAIにはかなわない。
心を持たないAIにはもう一つの特技がある。それは投影の受け皿として最適であろうという事だ。私は摂食障害を持つクライエントさんの話を聞くことがしばしばあるが、多くが思春期の頃に誰かから言われた自分の体形に関する心ないひとことである。それがトラウマのように心に突き刺さることで過剰なダイエットが始まったという話も聞く。しかし自分のBMIを冷静に伝える体重計は同じような意味でのトラウマを与えることはないであろう。
結局「AIには人間にとても及ばないが、代わりに果たす機能はある」という、最初に向かっていたはずの結論とはずいぶん違ってきていることに気が付く。AIにはAIの強みがあり、それは生きた療法家には決して果たすことのできない鏡の機能というわけである。しかしそれでも生身の人間のセラピストにしかできないこともたくさんあるはずだ。今度はそちらの方を真剣に考えなくてはいけなくなりそうである。