2026年4月6日月曜日

バウンダリー論 推考の推考 8

 5.バウンダリー上では遊びが生まれ、トラウマも生まれる

 これまで検討した私たちのバウンダリーの体験は、緊迫感をはらんだ綱渡りの様に感じた方がいてもおかしくないだろう。個人の中ではそれを超えるか超えないかの葛藤が体験される。そして二者の間で成立しているバウンダリーは、それをめぐって両者の間の様々な思惑が働く。それはハラハラする危険と隣り合わせの体験となることが多い。またバウンダリーそのものの破壊や修復が生じる事も少なくない。あたかも二つの紛争中の国の境目の様に、そこでは侵攻と反撃が様々なレベルで間断なく起きている可能性があるのである。

 このような性質を持つバウンダリーは、そこで遊びや創造性が発揮され、その意味で極めて豊饒で生産的な場となる。しかしまたバウンダリーは、いきなり踏み越えられることで様々な不幸、トラウマが生じる境域でもある。バウンダリーが孕むそれらの数多くのテーマについては、この短いエッセイで論じつくすことは不可能であるが、最後にそれらのいくつかをかいつまんで述べてみよう。

 先ずはバウンダリー上での遊びや発見について考えよう。幼児が慣れ親しんだ我が家の庭から一歩足を踏み出すという体験を想像しよう。まだ自宅の庭の垣根を超え出たことのない彼は、その日は少し浮き浮きした気分で、いつも遊びなれている庭のほんのちょっと外を見てみたいと思う。そこで家事に忙しい母親の目を盗んで門の隙間から、足を踏み出す。そこには見慣れぬ景色が広がり、出会ったこともない人が歩いている。彼は一歩、二歩とさらに踏み出すだろう。一方の好奇心や探求心と、他方の不安や恐怖の双方が働いつつ、ジワジワと彼の行動範囲が広げられていくのだ。しかしこの段階では、幼児はこれを明らかに楽しんで行っている。これは遊びの範囲での体験であり、いざとなったら走って帰れる距離に自宅があるからであろう。だからちょっと勇気を出してもう何歩か進んでみる。すると近所の家の庭に広がる花畑に遭遇する。色とりどりの花、香しいにおい! こうして彼はバウンダリーを少しだけ踏み出すことで新たな世界を発見したのである。

(以下略)