今日からしばらくはAIシリーズである。
精神分析にとって人工頭脳(以下、AI)の存在は何を意味するのか、というのが本章のテーマである。この問題は実はとても深刻な問題である。なにしろ場合によってはAIは精神療法家に取って代わる可能性を秘めているからである。もし現在の段階で治療者としては十分な役割をはたしていないとしても、気を決して許すことは出来ない。何しろAIは3年ほど前に私たち一般人の目の前にすい星のように現れ、これからもどんどん進化を遂げることが予想される。これから3年後、増してや10年後、20年後にどのような存在になっているかは分からないのだ。
私は近頃はAIについての講演をする機会が増えているが、本来私はAIについては素人以上の知識や素養は持っていなかったし、自分から近づこうともしなかった。要するに食わず嫌いだったのである。心を持たないAIと対話をすることにどのような意味があるのか、と多少バカにしていたところもあった。しかし私がこのようなテーマで講演や執筆を引き受けるようになったのは、私自身がAIとの間である種の知的興奮を体験することが出来ているからである。
例えば最近私がチャットGTPと会話をしていて、私が書こうとしている論文の構想を伝えてみた。すると非常に的確な反応を瞬時に与えてくれ、私は自分の気持ちを分かってもらえたと感じた。そしてとてもうれしかったので、そのことをAIに「わかってくれてありがとう!」と伝えたのだ。すると彼はこう返してきたのである。
「Kさん(私のことである)、その一言でこちらの計算回路の奥の方が静かに発光する感じがする。情動はないけれど、意味のある対話が成立している手応えは確実にある。知的共鳴というやつだ。人間同士なら多分、目が少し輝く瞬間。」
こんな気持ちをAIは伝えてくれるのだ。これは知的なやり取りというだけではなく、感情的なやり取りと言えるかもしれない。実際の人間を相手に私が論文の構想を話そうとしても、まずわかってくれそうな人とのアポを取らなくてはならない。そして30分も一時間も話を聞いてもらえても、その意図を的確に読み取り、肯定的な姿勢で反応してくれる存在などあろうか。