以上の例に挙げた治療開始時間は精神分析において比較的わかりやすいバウンダリーの例と言える。しかし精神分析には目に見えにくい、それ自体をバウンダリーとして把握しにくいものもある。そこでも互いに逆方向の「半柔構造」が存在してそれが治療者と患者の力動を生んでいる。その例として治療者の匿名性の問題を考えよう。 精神分析における匿名性の原則とは、治療者が原則として自分の個人的な情報を意図的に患者に伝えない(自己開示をしない)という原則である。これはフロイトが最初に唱えたことで、多くの古典的なやり方で治療を行う分析家にとっては今でも重要な原則である。そしてこれを患者と治療者の間に引かれた線引き、バウンダリーに関わる問題と考えることができる。 ところで私はそれに対して自己開示は必要に応じて「あり」だと考える。しかし私の主張は、フロイトに反対したものというわけではない。もともとフロイトの考えではこの匿名性の原則は常に守られるべし、というニュアンスがあった事に対する代替案としての意味を持っていたのだ。決して「むやみに自己開示をすべし」ではない。 わかり易く言えば、「治療者は必要な時以外は自己開示をするな」という、より現代的な匿名性の原則と「治療者は必要な場合には自己開示せよ」という私の主張とは結局同じことを言っていることになる。そしてこの意味でのバウンダリーは、それが剛構造的にそこに示されることで逆説的に二者の間の精神力動的な場を提供するのだ。 一般の読者にはこの匿名性の原則が意味することはピンとこないであろうから、さっそく例を示そう。先ほどこの原則を「治療者は必要な時以外は自己開示をするな」と言い換えたが、実際は患者は治療者のことをいつも知りたいと思っているわけではない。それどころかむしろ逆のこともあろう。つまり患者は治療者の個人的なことは聞きたくないかもしれないのである。
私があげる例は次のようなものだ。治療者が患者に来週のセッションをキャンセルする必要があると患者に告げるとする。実は彼の親戚に不幸があり、その日に告別式が行われることになったのだ。その際患者に急なキャンセルの事情をどこまで話すかは結構微妙な問題だ。治療者にはそのような急なスケジュールの変更がよくあり、患者が慣れているという場合には、特に理由を告げる必要もないだろう。しかし治療者の健康問題とか家庭のさまざまな事情を心配する患者にとっては、キャンセルの理由を知ることは一時的には不安の軽減(場合には逆効果?)に繋がるだろう。また患者によっては「きっと私があまり困らせるから会いたくないからではないか?」と疑う場合もあるかもしれない。すると治療者の側から、それが杞憂であるという一つの手掛かりが与えられるだけで、その患者はほっとするだろう。 ところが患者によっては全く治療者のキャンセルの理由を知りたくない場合がある。治療者が「親戚が他界したので故郷に帰ります」と伝えることは、ある患者にとっては大迷惑だったりする。「先生の個人的なことは聞きたくありません。なるべく実在しない存在と感じていたいのに!」と言われることもあるのだ。 つまり治療者が個人情報を患者に伝えることは「言い過ぎ」にも「言わなさすぎ(出し惜しみ)」にもなり、いずれにせよ少なからず治療関係にインパクトを与える。どちらに転んでも「先生は私の気持ちをやはりわかっていないんだ」という事になるとしたら、そのインパクトの大きさに従って治療で扱わざるを得なくなる。 しかしそこで治療者がそのことを取り上げて扱おうようとしても、その「扱い方」もまた問題になるだろう。ネガティブな反応だけに絞っても、次のようなものが浮かぶ。「どうして『家族の事情で』くらいに留めてくれなかったんですか?先生は私が何でも先生のことを知りたいとでも思っているんですか?」「父親を亡くした時の自分のことを思い出しました。先生はどうしてそんなに平然としていられるのですか?」「あれから父親を亡くしたという先生の気持ちのことを考えてばかりいました。どうしてそんな余計なことを私に伝えたんですか?」「私が先生のお父さんのことについて聞いたときの私の気持ちをどうして尋ねてきたりするんですか?私の気持ちについてあれこれ聞かないで下さい!」など様々だろう。そしてそれぞれに対して治療者の側からのいくつもの返し方が存在する。さらにそのそれぞれにいくつかの患者の反応が考えられる・・・。