2026年2月26日木曜日

バウンダリーについて 17

 昨日の続き。よくわからないまま思索を続ける。結局CSAの問題はそこでのトラウマ性は単に年齢の差があったり、表面上の力の差が存在していたり、という事には帰着できない気がする。昨日の例に戻ると、Bさんに振られたことによるAさんの心の痛みは、自分が未成年であり、相手が成人(22歳という想定であった)であるという事実には直接かかわってこないだろう。そしてAさんに、Bに騙され、搾取されていたという感覚が伴わない限りは、それをトラウマとしていて位置付けることは難しいであろう。Aさんがあくまでも一個人の自由意思に従ってBさんと付き合った結果だとしたら、たとえCSAの条件を満たすとしても、通常の失恋の痛手以上の要素を考えるのは難しいのではないか。  トラウマの成立にはある種の裏切り、虚偽のために人間そのものへの不信感を植え付けられるような要素が必要であるとしたら、そこには相手に服従せざるを得ないような関係性があったり、相手が自分の力を利用することで特別な関係に陥らざるを得なかったり、という事情が関係しているはずだ。それらが存在しないとしたらそこにトラウマ性を見出すことが出来ない事になるのだろう。しかし今書いたこの「トラウマ性」とはいったい何だろう?よくわからなくなってきた。  ともかくも、ここに境界侵犯の問題はどのように関わるのか。それは境界侵犯が伴うことで、後になって相手に利用され、搾取されたという感覚を生む可能性が高いからなのだろう。そしてそこには境界が侵犯されたという認識が、搾取されたという体験を新たに生むという事もあるだろう。いわゆる不貞行為が境界侵犯に相当するかは別だとしても、恋愛関係にあった相手が妻子持ちであると知った時の傷つきなどはその例かも知れない。相手に独身だと嘘をつかれていた人は、妻子持ちであるという事を知って騙されていた、弄ばれていたという感覚を持つことで、それまでの心地よい体験は一瞬のうちに悪夢になる可能性がある。  それにしても失恋がトラウマになるかどうかについては、考え出すとよくわからなくなる。その時の身の置き所のないような辛さはよくわかる。もう相手を信じることなどできない、恋愛はもうこりごり、と思う人も多いだろう。でもそれはトラウマと呼べるものだろうか。一つ言えるのは、失恋の痛手は相手への恨みへと比較的容易に変換されるものだという事だ。ストーカー被害のケースなどは、男性(時には女性?)の側に以前の恋人への恨みが募り、時には殺意にまで至るプロセスが見られる。 ともかくもバウンダリーに関する思考は、このところ全く進んでいない。これで何か論文が仕上がるのだろうか?