2025年11月12日水曜日

ヒステリーの歴史 改めて推敲 11

 まとめ

 

 FNSの歴史について、特にそれがヒステリーという精神的な病として扱われた経緯を示した。それは身体的な表れの体裁をとっていても、本質的には心の問題であると考えられていたからだ。そして精神医学の診断基準も概ねそれに沿ってきた事も示した。DSM-Ⅲ 以降、それはある種の心因ないしはストレス、あるいは疾病利得があり、それが精神の、そして身体の症状をきたすという性質を持っているものと理解されていた。これはそれまでのどちらかと言えば詐病に近いような扱いからは一歩民主化されたということが出来るであろう。
 そしてその間いわゆる解離性障害についての理解は大きく進んだと言える。とくにそれを精神症状を来すものと身体症状に分けるようになった。いわゆる精神表現性解離と、身体表現性の解離(Psychoform and somatoform dissociation)という概念である。

 しかしそれが真の、あるいはより現代的な理解に基づく概念として生まれ変わるためにはFNSの概念の成立が必要だったのである。そしてそれと同時に精神医学にとって朗報と言えるのは身体科からの歩み寄りだったわけである。

 ただしこのことは将来何を意味しているのだろうか?それはかつての認知症や転換がそうであったように、精神医学からFNSが消え、例えば脳神経内科に所管が移行するということであろうか。それはそれで構わないのかもしれないが、私はそうはならないと考える。というのもFNSを身体疾患として純粋に考える場合に、それに対する精神療法的なアプローチを想定しにくいという問題があるからである。そしてその根拠となるのが、FNSに見られる心的なトラウマの関連である。

FNSにおいて心的トラウマの関連が大きい以上、それに対する精神療法的なアプローチは必須となる。そしてそのような形でFNSは今後とも精神医学と身体科の両者により治療すべき対象と考えられるのである。その意味でFNSの存在が精神医学と身体医学を結ぶ懸け橋としての意味を持つことはとても重要であると考える。