この短いスペースでは内容に詳しく立ち入ることはできないが、いくつか印象に残った部分を紹介しよう。
第六章 「自分の人生このままでいいの?……人生を物語ること」
この章で著者がドラえもんとタイムマシンとの関係で自分の人生を語っている部分がとても面白い。著者は医療機器の営業職に携わりながら、いかに自分がそれに向いていないかを知り、初めて将来について真剣に考えていたようである。なぜ最初に営業職に就く前にそれを考えなかったのかは読者にはよくわからないが、自分にやりがいや使命感のようなものを体験でき、心について、人間についても深く考える機会を得ることを期待していたのかもしれない。しかしそれはある意味では全く見当外れであったことがわかる。自分がしたいこと、感じることが封印される毎日。そしてそれを続けて将来どうなるかを先輩や上司が実例として見せてくれる。ある意味では著者はタイムマシンに乘って自分の未来像に出会い、その自分が心情を吐露するのを聞いたのだ。そして思った。「自分はこのようにはなりたくない。」
こうして人より数年遅れて臨床心理の世界に入った著者は、最初から漫然と臨床心理に入っていた場合に比べてずいぶん性根の座った心理士になれているのではないか。一度別のタイムマシンに乗っているからである。そして本書を通して著者は再びタイムマシンに乗り、今度は逆向きの旅をして過去の自分に出会う。そして今の自分の萌芽は既に20年前にあったことを各章を通して再確認しているのである。
これは一見フロイトの言葉「本質的なことはすべて保たれている。完全に忘れられてしまっているように見えることでさえ、何らかのあり方を取って、どこかになお存在している。それはただ埋没させられているだけであり、個人の自由にならないようにされているのである。」(全集21巻 分析における構築)を裏付ける作業のようであると著者は言う。しかしこれは同時にナラティブの構成の作業でもあるのだ。なぜならさらに20年経ってまた全く別の新たな道に進んでいるかもしれない著者は、本書を読み返して新たな道に進む前触れをそこに見出すかもしれないからである。