2025年9月12日金曜日

●甘え再考 5

 前回からの考えの続き。甘えはお互いに上下関係のない愛、つまり対等な関係における愛とは明らかに異なる。これは見返りを求めない、という意味だろうか?つまり甘えと違う「大人の愛情」にはギブアンドテイクがある、一種の契約のようなものと考えることが出来るだろうか?そうかもしれない。相手が自分を愛すように、自分も愛する。他方が愛するのを止めたらこちらも止めざるを得ない関係だ。あるいは自分を差し置いて他の人を愛することに対しては非常に厳しい。その意味で極めて条件付きの愛である。

ところが母親の子に対する愛は、おそらく子供の母親に対するそれに似て、無条件的である。母親は、普通なら子供に嫌われても愛することを止められない。子供の場合はもっとそれが明らかである。また子供が別の人間(例えば父親)になついても母親はそれにジェラシーをあまり感じないであろうし、子供も母親が別の人間(例えばきょうだい)をかわいがってもそれに憤慨するわけではない。(少しはするかもしれないが。)

ちなみに北山先生は、このような上下方向の日本の愛は、キリスト教的な博愛の持つ水平性と対比させている。私のように男女の愛を対立させているわけではないことは断っておかなければならない。