2025年3月29日土曜日

不安とパニックと精神分析 5

 ギャバ―ド先生は次にphobia の問題に向かうが、そこではもっぱら social phobia つまり社交恐怖についての論述である。実は彼はかなり若いころからこの社交恐怖に興味を持っていたことを覚えている。それを精神分析的に論じることにとても高い関心を持っていた。それに社交恐怖は不安と恐怖の両方にまたがる問題を扱い、また対人関係において極めて大きな意味を持つ(それを損なうという意味でも、それをより実り多きものとするためのモティベーションとしても)。p268で彼があげている症例は、人前で自分の名前を言うことを極端に恐れるというケースだが、結局は「自分はMr.Aである」と言うことは、自分は父親(同様にMr. A)であろうとするということであり、それが不安を惹起するのだ、ということになる。 これはエディプス的な文脈で語ることが出来るという意味でも分析的な解釈が有効なケースと言えるだろう。ある研究では一般人の約20%が社交不安症(social anxiety disorder 以下、SAD)を有するということで、DSM-Ⅲで登場したこの新たな疾患は一躍、不安性障害の中で最も罹患率が高いものの一つとして注目されるようになったのだ。しかし他方ではSADを有する人の8割は何も治療を受けていないという。 Kendler (1992)らの研究では、恐怖症はいわゆるストレス―脆弱性モデルによくあてはまるという。つもり生まれつき気弱であることと同時に環境の要因が大きいということだ。(私の母親もとても不安の強い人だったが、そのため私も不安が強い方だと思う。)特に17歳以前で体験する親の死や、過保護と同時に放棄する親の姿勢が大きな要因となっているという。また養育期の母親のストレスが大きな影響を及ぼすという研究もあるという(Essex et al. 2010) 。 SADの話に戻るが、患者は大脳皮質下の活動が過剰となる特徴があるという。これはある意味では当たり前だ。人前では扁桃核などがビンビンに反応してドキドキしてしまうのだ。わかる、わかる。また「不安とパニックと精神分析 4」に登場したジェロ―ム・ケーガンの子供時代の「見慣れないことに対する行動上の抑制 behavioral inhibition to the unfamiliar 」という特徴はSADにも当てはまるとギャバ―ド先生は記述する。そしてSADにはSSRIなどの抗うつ剤だけでなく、精神療法が有効であるというのだ。こうでなくちゃ。しかしCBTと比べると、後者に軍配が上がるという。そして力動的な治療者であっても患者を恐れる状況に直面化することを勧めるという。