私の実感では、本書の多くの章が、この藤山氏の提言を受け、「それはそうだけれど…でも…」という論調で自説を展開しているように思える。というのもこの藤山説はある意味では難攻不落な説と言えるからだ。それは精神分析的にはあまりに正論だからである。それにしてもどうしてそうなったのだろうか? 一つには私の知る限り著者のすべてが藤山先生の門下生か、あるいは先生から深い影響を受けている人たちである。端的に言えば、本書の編者の一人は、上智大学の飛び切り優秀な藤山門下生である。そしてそれは彼らの理論が精神分析理論から「後方支援」を受けている(山口氏 p.245)というスタンスからもわかる。それは目標としているというより、「師(藤山先生)の説を重んじながら、その先を進む」という姿勢だ。つまり彼らは師の薫陶を受けつつも、週一回の存在意義を模索しているのだ。 このエネルギーがどこから来るかはわからないが、いくつかの現実的な要因が関係していることは間違いない。現実の患者さんたちのことを考えて見よう。彼らは週一回でさえ多くて来れない(あるいは少なくとも支払いができない)という人たちが大多数であろう。彼らの多くは仕事を持っていたり、経済的に十分な支えがなかったり、遠隔地に在住していたり、という事情があり、週4回以上はまず論外である。そして我が国のサイコセラピストはそのような患者さんと向き合っているのだ。
ここで結局至った結論。この本のコア部分に位置する山崎論文「週一回とは何か?」を読解すべし。