男性の視線の意味、女性のそれに対する防御という関係をものの見事に表しているのが、イスラム女性の多くが身につけるヒジャーブ hijab である。 コーラン(イスラム教の経典)では「貞節な女性たちに『目を伏せ、プライベートな部分を守り、(魅惑させないよう)飾らず』」と書かれているという。そして「ヒジャーブは女性が男性から性的な眼差しを向けられることを妨げ、男性が誘惑に負けて罪を犯すことを防ぐ役割がある」というのだ。 このコーランを通したイスラム社会の世界観は、女性が男性から性的に見られるということを前提としているかのようで、興味深い。そしてここでコーランではヒジャーブを身につけないことを男女両成敗としているところが特徴的である。 男性:そもそも誘惑に負けることが悪い。 女性:ヒジャーブを身につけないことで男性を誘惑することが悪い。 コーランのこの価値観は、上に述べたグラデーションの議論や相対主義的な価値観を脇において、「男性は女性を性的に見る」と最初から言い切ってしまうところが分かりやすい。変な言い方だがかなり明確な「性悪説」に立った考え方なのだ。これは例えば「自分の所有物を公共の場所に置き去りにしてはならない」という教え(そんなのはコーランにはないだろうが)と似ている。「この教えは、人がそれを盗みたいという願望をそそり、その誘惑に負けて盗みを犯すことを防ぐ」とかなんとか書かれるであろう。 ところでコーランには、そしておそらくどの宗教にも「自分の所有物を公共の場所に置き去りにしてはならない」と謳ってはいないであろうが、それはどうしてだろうか。それはそんなことは当たり前で、誰だって経典に書かれなくても、自分のものを置き去りにはしないからだ。とするとやはり男性が女性を見ることには、その際に女性が一方的な被害者ともいえないという事情が絡んでいるのだろう。ある種のポジティブな意味が女性にとってもあるだろうということだ。 私は昔から週刊誌の表紙やグラビアを女性が飾るのはどうしてだろうと時々考えることがある。最近では美人コンテストなるものはあまり行われないのはよく分かるが、「週刊誌の表紙やグラビアに若い女性を登場させるのはよくない」という議論は聞かないし、それを差別と捉えるという議論も(まだ)聞かない。あるいは化粧や美容整形はどうか?「ヒジャーブをつけないこと」を「化粧をすること」に置き換えてみよう。「口紅は女性が男性から性的な眼差しを向けられることを誘発し、男性が誘惑に負けて罪を犯すように導く。これもさすがにない。もちろん化粧が男性に見られることを意識したものとは限らないであろうが、「より美しく見られたい」というのは女性自身にとっても自然な願望だろう。 男性が女性をまなざすこと(週刊誌の表紙を飾ること、化粧を用いることによって)は男性にとっても女性にとっても社会の中である一定のポジティブな意味合いがあると考えらえるのだ。しかし少しも私の話は進展せず、グルグルと同じところを回っているようだ。