DIDと統合失調症の幻覚の鑑別
これまで解離性幻聴の特徴について論じてきたが、ここで項目を新たにし、DIDに見られる幻聴と統合失調に見られるそれとの対比について論じたい。
解離性障害、特にDIDについての関心が深まるにつれ、それまで統合失調症に特徴的とされた幻聴やその他の体験が実は解離性障害にむしろ特徴的であるという理解がなされるようになった。
とここまで書いて、私が昔書いた「解離性障害」(2007)を読むと、結構この件について詳しく書いてある。以下は自己引用(青文字部分)だ。特に使えそうな部分をハイライトする.
DIDの持つ現代的な問題点-schizophreniaとの鑑別をいかに行なうか?
DIDとschizophreniaとの関連性については、第5章でも改めて触れるが、ここでは基本的な視点について提示しておきたい。まず両者の鑑別に関する論文は、私の知る限りでは我が国にはまだ多いとはいえないが、このこと自体が大きな問題である。これまで日本では一般の精神医学の領域では、schizophreniaの持つ意味が非常に大きかった。DIDという概念が臨床家の間に理解され、浸透するためにはまず、schizophreniaとの鑑別(あるいは解離症状と精神病症状の異同と言い換えてもいいが)が十分理解されなくてはならないのだ。この問題に関心が払われない限り、DIDという状態は精神科医によって依然としてschizophreniaと誤診されたままである可能性がある。
ちなみにこのテーマに関して、今は亡き安克昌(当時神戸大学精神科)と中安信夫(東京大学精神科)とがある専門誌上で興味深い対談を行ったことがある(安ら、1997)。先述のとおり安は日本の解離の臨床研究の先駆者であったが、中安はもう20年以上、いわゆる「初期分裂病」(現在の呼び方では「初期統合失調症」ということになる研究を続けておられ、解離の概念については慎重な立場を崩していない。その中安が対談の中で、いかに「初期分裂病」の解離様の症状が見られるかを強調しているのだ。しかしこれは同時に「初期分裂病」に多くの解離性の障害が含まれる可能性を示唆していることにもなりうることが、安との対談の中で浮き彫りになっていたのである。
一方米国には我が国の精神病理学に相当するものは事実上存在しないが、DIDとschizophreniaとの異同についてはすでに幾人かの著者によりさかんに論じられている。たとえばDIDにおいて、「シュナイダーの一級症状」(従来schizophreniaの診断の決め手として用いられてきたもの)が多く当てはまってしまう、という所見 (Kluft, 1987, Ross, 1997)ないしはDIDという最終診断が下った人の多くが以前にschizophreniaの診断を受けていた (Putnam, 1986)という調査結果については、DIDを紹介する論文にしばしば取り上げられている。ただこれらの所見はいずれも、schizophreniaとDIDという基本的には異なる障害がいかに混同されやすいか、という視点に立ったものであるといえる。しかし今後むしろ問題になるのは、schizophreniaとDIDの合併状態、ないしはschizophreniaに見られる解離性症状という、より込み入ったテーマである。
このテーマについても、ロス (Ross 1997) がその代表的な著書で独自の見解を述べている。彼はschizophreniaに特徴なのは陰性症状であり、陽性症状は基本的に解離性の現象であると主張する。そしてschizophreniaにおける幻聴も本来解離性の現象として捉える可能性を示している。このロスの立場は少なからぬ反論を呼ぶであろうが、彼は次のようなデータを示してその傍証としている。彼は長期にわたってschizophreniaの診断を持つ83名についてDES(Dissociative Experience Scale, 解離体験尺度)を試行したが、虐待された患者の値は平均21.6であったのに対し、虐待されなかった患者のDESは、8.5であったという。また虐待を受けたschizophreniaには、DDIS (Dissociative Disorders Interview Scale、解離性障害面接尺度) (Ross, 1989)のすべての症状群でより高い値が見られたとする。そしてこのDDISに組み込まれている含まれる上述の「シュナイダーの一級症状」は、虐待を受けたschizophreniaの場合6.3項目を満たしていたのに比べ、受けていなかった患者は3.3項目であったという。またそしてこのデータに基づきロスはschizophreniaに、解離性のschizophreniaという下位分類を提唱するのだ。
このロスの提言は、DIDとschizophreniaとの関係についての議論が新たな段階に入ったことを示唆している。先述したとおり、それはDIDとschizophreniaとがいかに共通の病理や機制を持ちうるか、両者の関係は実際にはどうなのか、という議論へと向っているのである。ただしこのロスの提言の妥当性については、さらなる議論が待たれよう。