サックスがp.59で強調していることはとても大事だ。彼はある芸術家に感覚遮断をして幻覚を体験した際のMRIを撮ったところ、後頭葉と下部側頭葉という視覚系が活性化されたという。そして彼女が想像力を働かせて得た視覚心像由来の幻覚では、ここに前頭前皮質の活動が加わったという。つまり幻覚の場合は、トップダウンではなく、「正常な感覚入力の欠如により異常に興奮しやすくなった腹側視覚路の領域が、直接ボトムアップで活性化した結果なのだ。」(p.59)ということになる。つまり私たちにとっての幻覚は、前頭前野が関わっているかどうかにより全く異なることになるわけである。これは知覚と表象の違いということで一般化できるかもしれない。 例をあげよう。リンゴを思い浮かべるのと、リンゴの幻視をみるのとでは全くこちらへの迫って来方が違う。心理学でいえば、前者は表象、後者は知覚だ。前者は前頭葉が初めからトップダウンで信号を送っているので、見えているものをある意味で「すでに知っている」のだ。それに比べて知覚は知らない、予想していないという新奇的な部分が常にある。解離における他者性も結局はそれに関係しているのだ。他の人格からの声は「自分とは違う誰か」という印象を与えるのは、自分からそれが発していないからだ。すると例えば自分をくすぐることが出来る。ふつう私たちは自分をくすぐることが出来ないがそれはその行為が自分から発しているという前頭葉からの信号を差し引くからである。それに比べて他人の手症候群のような状態では、自分の手が自分をくすぐることが生じる。それはそこに他者性が生まれるからだ。 サックスはp.251で、トップダウンとボトムアップの違いについて再び整理しているが、ここは私自身の理解と若干違う。彼は夢はトップダウンであるという。それは個人的な特性があり、大抵は前日にあったことなどを反映している。それに比べて入眠時幻覚は「概ね感覚的で、色や細部が強化又は誇張され、輪郭、硬度、ゆがみ、増殖、ズームアップを伴う。」しかしこのように説明した後サックスは、結局脳の信号の伝達は両方向性であり、トップダウンか゚ボトムアップかを二者択一的には決められないということを言っているが、私もその通りだと思う。どちらの方が優勢か、ということだ。