2024年10月3日木曜日

統合論と「解離能」24 

私はいわゆる内在性解離という概念がよくわからないが、しかしその概念は便利だと思う。何しろ角回の刺激やPCP(エンジェルダスト)の使用で体外離脱体験のようなものが生じるというのである。要するに私たちの脳内にそのような神経回路がビルトインされている可能性があるのだ。しかもそれはもう一つの主体(眼差す主体)である。私はいろいろなところで、解離とはもう一つの中心が成立した状態だという言い方をしたが、例えば歌手が声が出ないときに、それを操っているのはこのもう一つの主体というわけだ。この二つ(あるいはそれ以上)の存在が様々な混乱をもたらすが、これは例えばシングルコアのコンピューターに、あとからいくつものCPUが加わることによって「マルチコア」になったものの、混乱が生じてしまっている状態という感じではないか。もちろん普通のPCではそのようなことはないのだが、人間の場合にそれが起きてしまう。とすれば解離はもう障害以前の能力ということにはならないだろうか。ただこの能力が使いきれなくなって障害となるというわけである。 例えば黒幕人格さんの感情の暴発を考えよう。これはその人の現在の生活にとって様々な問題となりかねない。しかしそれはもともと過去の虐待的な状況の中で、相手に対して正当防衛的に発揮されるべきものであったと考えるならば、その存在自体は必然だったといえる。そして虐待的な状況でそれが発現しないことでそれを生き延びることができたのである。いわばつけが回ってきたにもかかわらず、それが障害として扱われてしまう。このように考えるとまさにこの論文の題名のように、解離は 「function 機能であり、かつ dysfunction 機能不全でもある」ものなのだ。