2023年11月5日日曜日

連載エッセイ 10の4

連載エッセイの10回目。どうしてもうまく書けないで、最初の部分を何度も書き直している。

前回(第9回目)は、あるものを摂取したり、ある行動を起こしたりする場合、それを希求する程度(W)と、その実際の体験に伴う心地さ(L)をとを分けて考えることの有用性について論じた。そしてこのWを生み出しているのが報酬系のドーパミンニューロンであり、Lを生み出すのは脳内に点在する「快感ホットスポット」であり、そこではドーパミン以外の物質(セロトニン、オキシトシン、オピオイド、その他)が働いているという現代的な理解について示した。

  私達の日常体験では、LとWは普通はバランスが取れた状態であり、そのことで心身の健康が保たれている。私達は欲しいと望んだものが適度に充足することで、それ以上は望まなくなるのが普通だ。ところがこのWとLが離れていくという現象が知られている。それが嗜癖ないしは強迫という状態であり、それが今回のテーマである。


 まずはWとLが通常は釣り合うという事情については、一種のサーモスタットのような仕組みが常に働いていると考えるといいだろう。例えば私たちが脱水状態にあり、水を欲しいと感じる際は、視床下部にある口渇中枢 thirst center から送られてくる「水を摂取せよ!」という指令によりこの願望が生まれるのであろう。しかし実際に水を摂取することで、口渇中枢からの指令が抑えられ、私達は水を欲しいと感じなくなる。その意味でエアコンなどで温度を調節する際のサーモスタットのような仕組みと述べたわけだが、より正確にはネガティブフィードバックという仕組みとしてとらえることも出来るだろう。

 しかし脳に何らかの異常が生じると、このサーモスタットが働くなる。するといくら水を飲んでも、あるいは飲めば飲むほど渇きを感じ、更に水を欲するという事が起きてしまう。精神科領域では「水中毒」という症状があり、患者さんはウォーターサーバーに付きっきりで水を飲み続けてしまう。そして血液が薄まってしまい、低ナトリウム血症等に陥って生命に危険な状態になってしまいかねない。

 その様な場合、その行為が常に心地よさLを保証しない場合が多い。水中毒の場合、当人もおそらく水を飲んでいてもはやおいしいとは感じないであろう。つまりLはゼロどころかマイナスになっているのだ。しかしWだけは常に高いままなので水を飲み続けてしまう。 この種のWとLの間の乖離は、実はしばしば起きることなのである。特に依存症、嗜癖、あるいは強迫神経症などと呼ばれる状態では深刻なレベルでこれが生じている。

 通常は苦痛な体験がそのうち心地よさを生むという場合も少なくない。走っているうちに、最初は苦しいがあるレベルを超えると快感になり、止められなくなる。これがいわゆるランナーズハイという状態だ。あるいは適度な辛さなら美味しく感じている人が、徐々により辛い状態を求めるようになることもある。いわゆる「激辛マニア」と呼ばれる人たちである。その例の極めつけは「首絞めゲーム」であろう。私達が息を止めているうちに体験される低酸素状態は、これほど苦しいものはない。それが快感につながる場合があるからこそこのようなゲームが成立する。

  このような過剰な苦痛(マイナスL!)による快感を求め続ける(プラスW)という状態は、それが日常生活で時々体験されるのであればまだいいかも知れない。時々趣味の快に出かけて若い女性にハイヒールで顔を思いっきり踏んでもらう(しかもお金を払って)というのも、その人の自由であろう。しかし問題はこの永続的なWの存在が病歴なレベルにまで至ることがあるのであり、そうなると私たちの心身を著しく損なうことになる。