2023年10月8日日曜日

連載エッセイ 9 その5

 報酬の二重帳簿問題

 このISM説、実は快に関する非常に悩ましい問題を説明する手段として案出されたという経緯がある。私たちは快を求め、不快を回避する。これは生存を続ける上での大原則だ。そして幸いなことに通常は、快は無限に得られるわけではない。ネズミにとっての甘いシロップの代わりに、人間にとってのチョコレートを例にあげよう。私達はチョコレートを永遠に貪るわけにはいかない。はるか以前の、例えば文明開化の頃なら、舶来のお菓子であるチョコレートは極めて高価で、簡単に手に入れることなどできなかっただろう。それから安価になりコンビニでどこでも手に入るようになった。でも私たちは「ダイエットしなきゃ」とか「甘いものを食べ飽きて頭が痛くなってきた。今度はしょっぱいものが欲しくなったな。」等とつぶやいて別のものに関心を向ける。このように快の源は一定の範囲でしか私たちを惹きつけないのが普通だ。

 ところが私達はハマるとか中毒になるという状態を時々経験する。体は「もう嫌だ!」と言いながらそれを求めるという事が起きる。好きなものにはそのうち飽きるという原則が当てはまらない現象に私たちは頭を抱えるようになった。なぜ辟易していて、それが体や心を蝕むとわかっていることをわたしたちは止められないという現象が生じるのか?

ここから科学者たちは私たちの報酬には二種類あると理解することが合理的であると学んだ。報酬はいわば二重帳簿なのだ。つまり一つの気持ち良さには二つの性質が伴っている。一つは心地よいと思う感覚。もう一つはそれを止められないという感覚。先ほどの例だと前者はαという物質がXという部位で働いていることを示し、後者はどうやら報酬系でドーパミンが働いていることに対応するようだ。前者はチョコレートを美味しいという感覚、後者はチョコレートが特に美味しくなくても欲しい(やめられない)という感覚。そして特に美味しくないのにそれを強烈に欲しいという状態が嗜癖と呼ばれ、極めて重要な問題として注目されることになった。なぜなら美味しくなくても止められないもの、例えばヘロインやコカインや覚せい剤、お酒、ギャンブル、などはその人の健康や社会生活を容易に蝕むという結果を生むからだ。そしてこの文脈から生まれた事実が、私達の報酬は好き like なものと、止められない want ものであり、両者は別物であるという理解なのだ。

みなさんは思うはずだ。神様はどうして脳にそのような仕組みを与えたのだろう?体に必要なものだったり目新しいものだったらそこから報酬を得られるのは恐らく合理的だろう。そしてそのうち飽きて、それ以上いらなくなることがとても大事なのだ。つまり好きと必要はおおむね一致していることが重要なのだ。大概は一つものを摂取したり一つのことをやり過ぎたりすると弊害が出てくるものである。ところがどうして特定の物質や行動だけこの両者が途方もなく大きく分かれるのか。

 一つの問題はドーパミンシステムの本来的な性質だ。ドーパミンシステムは、軽い快感ならその度合いに応じたドーパミンが出て快を感じさせる。ところがそれが一定以上の大きさの場合に、ドーパミンシステムは報酬系が焼け焦げ、結果的にその物質を用いないことが強烈な不快を生むことになるのだ。それをかつてある論文で以下のように表現した。上手くアレンジできるだろうか?


報酬系の働き

ここで報酬系について、改めてその働きを見てみよう。それを単純化すれば、報酬刺激を与えられることで興奮し、私たちに快感を与えてくれることである。報酬系は先に述べた中脳の側坐核や中核野の周辺に広がる領域である。そこで特に重要なのが内側前脳束(medial forebrain bundle)という部位で、特に腹側被蓋野(ventral tegmentum area, 以下VTA)から側坐核(Nucleus accumbens 以下 NAcc)に向かって投射しているドーパミンニューロンである。VTAにはそのドーパミンニューロンの本体部分である細胞体があり、それはNAccに向かって軸索を伸ばしている。その興奮によりNAccにドーパミンが放出される。私たちが身体的に得られる快、精神的に得られる快がすべて、この内側前脳束におけるドーパミンニューロンの興奮に関わっていることが知られている。

ところでこの報酬系にはもちろんドーパミン以外にもアセチルコリンやGABAその他の神経伝達物質も複雑に関与している。また報酬系は快感のみではなく、嫌悪刺激とも関係している複雑なシステムであることも分かっている。そして嫌悪刺激の場合の主役はアセチルコリンである。苦痛の際にはNAccにおいてアセチルコリンが放出されるのだ。ただし嫌悪刺激でもドーパミンがある程度は放出されることが分かっている。そして結局はNAccにおいて放出されるトーパミンとアセチルコリンの比(D/A比)が大きいと快感に、小さいと苦痛を生むという事が知られている。

このように報酬系は、報酬刺激や嫌悪刺激が軽度~中等度の場合は、きわめて合目的的に働いていることになる。適度に心地よい刺激ではドーパミンが放出され、嫌悪刺激では主としてアセチルコリンが働き、私たちは主観的な快や苦痛を覚える。すると体はそれらをさらに求めたり、回避、軽減したりするという衝動に従うのである。そしてそうすることは私たちの生存の可能性をより高めるのだ。

また嫌悪刺激については、私たちの脳はさらに周到な用意をしている。ドーパミンやアセチルコリン以外の物質も関与して、それを軽減しようと試みるのだ。例えば脳内では鎮痛剤に似たような物質が分泌され、みずから痛みを和らげようとすることが知られている。それがいわゆる内因性オピオイドであり、それ自身が報酬系に働きかけることで痛みを軽減する効果を発揮する。そうすることで尋常ではない痛みに対処する力を私たちの脳は備えているのだ。例えば極度の苦痛に襲われた際、むしろ至福に近い体験が生じるという現象が知られている。溺死寸前で救出された人などの語る臨死体験の多くがDMTなどの脳内麻薬の類似物質と関連しているという研究もなされている(星名、2009)。


過剰な快と報酬系


では報酬刺激が過剰な場合にはどうなるのか? その場合にこそ問題が生じるのだ。すでに述べたように私たち祖先は過剰な快楽を体験する機会を通常は持ちえなかった。そして報酬系はそれに対する対応能力を持っていなかったのである。その結果として快感が一定限度を超えた場合、報酬系は暴走し、私たちに快楽を体験させてくれるのではなく、逆に極度の苦痛を与えることになるのだ。

私たちの報酬系は、快の程度が一定限度内であれば、穏やかな快感を保証してくれるのであった。それは自分にとって癒しとなり、また生きる喜びにもなるだろう。たとえば毎日仕事があるものの、決まった時間にブレークタイムがあり、ある心地よさを体験出来るとしよう。それはケーキやグラス一杯のワインなどの嗜好品かもしれないし、好きな読書やゲームで過ごすひと時かもしれない。それが終わるとあなたは満ち足りた気持ちで再び業務に戻るのである。あなたは明日もその時間を楽しみにし、自分に対するご褒美と考え、それにより仕事へのモティベーションも上がるかもしれない。

ところがそのブレークタイムに、あなたはヘロインのパイプを提供されるとしよう。あるいはあぶって吸入する純度の高いコカイン(いわゆる「クラック」)でもいい。今日からはこの新しいメニューが続くと告げられる。あなたが興味本位でそれを吸ってみると、たちまち強烈な多幸感に襲われる。「性的オーガズムの数万倍の快感を全身の隅々の細胞で行っているような」と形容される快感を初めて味わった時、おそらくあなたは通常の仕事にはすぐには戻れない。戻ったとしてもボーっとして、先ほどのブレークタイムで自分の身に起きたことを考えて過ごすかもしれない。そして翌日の同じ時間にもヘロインパイプが出されて、また雲に乗ったようなあの強烈な快感を味わう。

こうして何日かを過ごすうちに、あなたは自分の心や体に重大な異変が生じていることに気が付く。まずあなたはブレークタイムのことが頭にこびりついて離れなくなるだろう。そしてその時間を心待ちにするため、他のことが考えられず、仕事に戻ることが難しくなっている。そうしてさらに不幸なことが起き始めていることを知る。それはヘロインやコカインによる快感が過ぎ去った後、不思議な苦しさが訪れるようになることだ。特にヘロインの影響が体から抜けた後の苦しさは耐えがたい。身体中に起こる関節痛、とてつもない倦怠感や吐き気。体がバラバラになるようである。しかも時と共にそれが増していくのである。そしてその苦しさは、次の日に再びヘロインを使用する時まで続くのだ。さらにもう一つの問題が起きる。それは同じ量のヘロインやコカインで得られる快感は明らかに前回よりは減っていくことだ。そこで仕方なく量を増やしていくしかない。しかしそれでも苦しさを一時軽減してくれるだけで、もはや心地よさとしてすら体験されなくなっていく。

こうして報酬系は最初の甚大な快感をそっくりそのまま苦痛へと変質させてしまうのである。報酬系は私たちに奉仕するどころか、私たちを裏切り、最悪の事態を引き起こすのだ。どうやら私たちの報酬系という器官は途方もない欠陥を有していることになる。あたかも一定以上の電圧をかけると途方もない誤作動を起こす機械のようなものだ。それはある程度以上の快の刺激で、私たちを廃人のようにしてしまうのだ。

ここで私たちの心にひとつ疑問が生じるだろう。過剰な快に対する報酬系の狂った振る舞いは、神がそう設計した結果だろうか。人(実は動物も同じである)は一定以上の快を味わった際には神の怒りに触れ、処罰を下されるのだろうか?その人を廃人にするべく設計されたものだろうか?それとも単に自然は本来そのような途方もない快の源泉を想定していなかったのだろうか? たしかに生命体がこのようなバグを有する報酬系を抱えながら生き延びてきたのは、単に自然界がそのような強烈な報酬刺激を提供してこなかったからだろう。例えばケシの実からとれる白い汁に含まれるモルヒネの濃度が極めて高かったとしたら、動物の多くはケシ畑を離れられなくなり、食べ物を探したり繁殖をしたりせずにケシの実を齧り続けてあっという間に滅んでしまうだろう。(ところで自然界で精神変容作用を起こす植物に動物が翻弄される例は、実際には数多く知られている。)

このように考えると、生命体に備わっていたバグを責めるよりは、私たちの文明が、自然界ではほとんどありえないような報酬刺激を作ってしまった私たち文明のせいだともいえるだろう。ただしこのバグの本体は少しずつ解明されつつある。そしてそれに従い、薬物依存をいかに治療するかについてのヒントも与えられつつあるのだ。


報酬系が暴走するプロセス


快についてはVTAからNAccに投射されるドーパミンニューロンが関与していることについてはすでに述べたが、依存症の形成にはそれらの部位で、いわゆる長期増強、長期抑圧という現象が関係していることが知られる。長期増強とは二つの神経細胞を同時に刺激することにより両者の間の信号伝達が持続的に高まるという現象である。その際神経細胞内のエンドソームから次々とリセプター蛋白が生産されてシナプスを強化する。わかりやすく言えば、報酬系の中枢の部分の回路がより太く、強力になるのだ。この長期増強は、例えば一回のコカインの使用ですでに最大限にまで達するという。そしてこの長期増強が薬物依存に関係していることは、その長期増強を抑える薬物、たとえばMK-801という物質で前処理されたラットではこの依存症が起きないことにより証明されている。ただしこの長期増強はアルコールやニコチンでも一回で生じるというのだ。ところが依存症はたった一度の使用で起きるわけではない。

そこで強烈な依存症の成立には別の仕組みが関与していることになるが、それがGABAによる長期抑制という仕組みである。GABAニューロンは報酬系を抑制する働きがある。それの抑制、すなわち抑制の抑制による増強という現象が、薬物の使用回数が上がるにしたがって高まっていくという。これが依存症の成立に絡んでいるという。

依存症による脳の変化はさらにドーパミンの投射先であるNAccや背側線条体、前頭前皮質のシナプスにも変化が生まれる。NAccの中型有刺ニューロンの棘の数は格段に増えて刺激をよりキャッチしやすくなるが、この変化は永続的であるという。また海馬、前頭前皮質、扁桃体から側坐核に情報を届けるグルタミン酸システムの長期抑制が起きる。これらの変化は全体として、とてつもない快感を再び期待して報酬系が悪魔的な学習diabolical learning (Stahl, 2012)を起こしてしまい、これが初期の耐性と依存性のもととなっている可能性があるという。しかもこの脳の変化はほぼ不可逆的であり、薬物依存者は再び正常の脳を取り戻すことは出来ないのだ。

このように通常は適度の快や嫌悪刺激に応じて適応的に反応していた報酬系は、強烈な快に触れ続けるといわば焦げ付いて変質してしまい、もとには戻らない。そしてこれが嫌悪の病理の背景となる脳内の変化の一つなのである。