2023年9月5日火曜日

連載エッセイ 8 推敲 3

 左脳は虚言症か、サイコパスか?

 さて次は左脳についてである。左脳はかなりのくせ者だ。左脳は右脳が始めたことについてもっともらしい説明をする「説明脳」でもある。ということは左脳は「嘘つき」ということであろうか? おそらくそうとも言えないだろう。嘘をつく、という感覚すら持ち合わせていないのだろう。

 このような左脳の特徴が極端な形で表されるのが、いわゆる「反側無視」という現象である。脳梗塞などで右脳の機能が広範囲で失われ、いわば左脳だけになることがある。そのような患者さんの多くに見られる現象が,この反側無視である。彼らは食事を出されても、お皿の右半分のものしか食べなかったり、時計を描いてもらっても、右半分に1から12までの数字を詰め込もうとする。それどころか動かなくなっている体の左側について問われても、「ほら、ちゃんと動いていますよ」と言うかと思えば、「これは私の手ではありません。あなたの手じゃないですか?」と言ったりする。(ちなみに逆に左脳の広範な脳梗塞が起きても、右側の無視という現象は起こらない。)

 このような左脳のあり方について、その由来を考えてみよう。先ほど赤ん坊はもっぱら右脳で生きていくという事情を説明したが、一歳を過ぎて子供が言葉を話すようになった時のことを考えよう。 子どもは言葉を覚え、自分の考えを伝えるという営みを覚える。それにワンテンポ遅れて子供が覚えるのは、自らを偽ることだろう。子供がおもちゃを乱暴に扱って壊してしまう。それに後で気が付いた母親が子供に「これやったの誰?」と問う。言葉はまだ出なくても叱られていることが分かった子供はおそらくうつむくだけだろう。しかし言葉を覚えると「僕じゃないよ。」とか、あるいは「〇〇ちゃん(一緒に遊んでいた友達)がやったよ」と言うかもしれない。言葉を覚えた子供がかなり早期から発見するのは、言葉が時には魔法のように働いて自分を窮地から救うということだ。本当でないことを言うことが自分にとっていかに(短絡的な意味でではあれ)自分に有利かという事だ。

 ただここで重要なのは、おそらく左脳に嘘をつく意図はないということだ。左脳は説明脳であり、ある意味では出まかせを生産するのである。そしてそれが虚偽であることを認識して後ろめたさを感じるとしたら、それはもっぱら右脳の方なのである。

 この件についてとても興味深い実験がある。Gazzaniga 達(Miller, et al, 2010)は分離脳患者に二つのストーリーを提示した。一つはある部下が上司を殺害しようとするが、毒と間違えて砂糖を盛ってしまった。(その結果殺害には至らなかった。)もう一つはある部下が上司に砂糖を提供しようとして間違えて毒をわたし、その結果上司を殺害してしまった。これを右脳だけの人と左脳だけの人に聞かせると、何と左脳だけの人は、両者の道徳的な意味を区別することが出来なかったというのだ。

Miller, MB, Sinnott-Armstrong,W. et al. Abnormal moral reasoning in complete and partial callosotomy patients,Neuropsychologia,48(7)2010, 2215-2220.