分離脳ふたたび
第8回目は右脳問題である。今回このテーマについて扱う伏線は解離について論じた第6,7回目にあった。この流れで右脳について論じない手はない。
私の今回の要点を多少誇張して申し上げよう。右脳こそが私たちの本音であり、真の自己 true self である。人はそれに基づいて行動し、左脳はそれを正当化し、理屈付けようとするに過ぎない。驚くべきことであるが、左脳はこのように、偽り、糊塗する機能を有するとさえ言えるのである。
私は普通は、「真の」、とか「偽りの」、という表現をなるべく避けるようにしている。というのも「真か゚偽りか」、というのは究極の二文法であって、現実はこのようにすっぱりと二つに分かれるものではないからだ。でもこの件についてはそこまで言っても言い過ぎではないように思う。
左右脳の機能の分化について、簡単に図1(省略)に示しておこう。
第6回の分離脳に関する記述を読んで不思議に思われた方がいらっしゃるのではないか。私は左右の脳が別れた状態の、つまり「分離脳の」患者さんが、右左の二つの心を持つという事情を説明した。以下にそれがわかった仕掛けについてまでさかのぼってみよう。
Nature ダイジェストに掲載されていた図をお借りしよう。図2に示した通り、脳梁を切り離された「分離脳」の患者さんは、視野の右側に示した〇は左脳にのみ、左側に示した□は右脳にのみインプットされる(一番左の図)。そこで患者さんに「何が見えますか?」と問うと、視野の右側に「顔」が示された場合はそれが左脳に伝わり、左脳は言語を持っているために「顔」と返事をする。また視野の左側に「顔」を示した場合は、それが右脳に伝わるが「顔」という代わりに左手で顔を描くのだ(中央、及び右の図)。ただし後者の場合は、視野の左側には何も見えていないので、左脳はあくまで「何も見えていません」というのだ。そこで「どうして左手で顔を描いているのですか?」と問われると、左脳は言い訳をする。「退屈なので顔を描いてみました」などと言って取り繕うのだ。(ちなみに文字の苦手な右脳でも単純な文字は理解することが出来るから顔を描くことが出来る。)
ここで読者は次のように思うかも知れない。「顔」という字を見て顔の絵を描いた右脳は「心」を持っていると言えるのですか? 右脳の声を聞けないのだから、もしかしたらロボットみたいに文字を絵に変換しただけではないのですか?
実はこの質問は悩ましい。後に述べるように、「右脳は無意識か?」というテーマにもつながるからである。ただ右脳も心を有することは、次のような実験からも推察される。分離脳を持った若い女性の左の視野に、性的にきわどい写真を見せる。すると、女性は顔を真っ赤にしてドギマギするが、左脳は「今日はとても緊張しているんです」などと言い訳をするのだ。(Ornstein,p.3)性的な絵を見せられて恥ずかしがるのはやはり心による反応と考えるべきであろう。
さてここに見られる左脳のシレっとした言い訳は、もうそれが左脳の本来の姿かもしれない。左脳は言い訳をするということに後ろめたさを感じさせない。というよりはそもそもその様な葛藤を体験していない様なのだ。この事情については後に詳しく述べることにする。