そもそも人間は社会的な動物のはずなのに、人はどうしてこれほどまでに対人恐怖的になり得るのだろうか? それが社会適応上望ましいのだろうか? 恐らくそうだろう。他者とは怖くてしかるべきものだ。私達が他者を怖がらないのは、たかをくくっているからだ。親しい友人Aさんと会う時はあまり緊張しないとしよう。すると「あのAさん」という安全なイメージを持っていて、それを投影するからである。
極端な比喩だが、火星人が地球に到来したとしよう。火星代表として、地球側に正式に面会を求めて来たのだ。あなたはたまたま地球代表の外務大臣で、面会しなくてはならない。相手の姿かたちは知らされていない。どうやら私たちのような高度の知性を備えた生命体らしいということが分かっているだけだ。
これは相当怖い話だ。火星人は幸い人に似た形をしているし、背格好も近いとしよう。いきなり10メートルの巨人と対面する必要はないのだ。そして顔のようなものを持ち、にこにこと愛想笑い(火星人なりに、である)を浮かべながら、握手を求めてくる。しかしそれで警戒を解くことは出来るだろうか。実は自分の周囲数十メートルの人類を殺傷するような武器を取り出すかもしれない。一挙手一投足に警戒をし、わずかな怪しい動きにも敏感に反応するに違いない。実際野生動物が他の動物に遭遇した時の反応は似たようなものだ。実際には私たちが遭遇する誰もがいつどのような形でこちらに危害を加えてこないとも限らない。しかしそれでは社会生活をやっていけないから、私達はこの警戒モードを一時的に「オフ」にして人と会っているのだ。そして私たちは時にはこのオフモードに入ることが出来なくなってしまう様な病態を知っている。例えばPTSDなどの場合には、誰と会っても警戒心を解くこと(警戒オフモードをオンにすること)が出来なくなり、家を出ることそのものが恐ろしいことになってしまう場合がある。
この様に考えると、先ほどの漫画の作者である当事者さんの気持ちもそれなりに分かるではないか。