2022年1月6日木曜日

偽りの記憶 推敲 2

 記憶の再固定化の問題

この偽りの記憶の問題に入る前に、最近記憶に関する研究に大きな進歩が起きているので紹介したい。その一つがいわゆる記憶の再固定化の問題である。これは一度記憶された内容が思い出されることで、さらに増強されたり、変更を加えられたりするという現象である。これについては東大の喜田聡先生のグループの研究が有名である。ただしこの実験は実はきわめて専門的な知識が必要となるので、少しわかりやすく書き換えたい。
 ま
ず私たちはある出来事を記憶する際、特に印象に残った記憶は海馬という部分が強く働いてそれをよりしっかりと記憶にとどめる。しかしそれでも記憶は次第に忘れられていくものだ。それを心理学用語で消去という。これは時間経過とともにいわゆるエビングハウスの曲線に従って忘れられていくと考えられる。
 これを見る限り、何と一日後には40パーセントくらいしか覚えていないことになるが、繰り返し復習すると記憶の定着度が高まるというわけである。それが赤線部分が示すところだ。(ちなみに記憶した内容は一晩寝た後にはより多く定着するという研究がなされている。)つまりある印象深い内容は、最初に強く記名されるとともに、何度も思い出されることで「復習」という効果があり、それだけ定着していくというわけだ。
 ではPTSDで問題になるような、恐怖を伴ったトラウマ的な記憶はどうだろうか。トラウマ記憶は通常の記憶と異なる性質を有するという事が知られている。一番の特徴はそれが通常の記憶と異なり、いわば情緒的な部分が時空間的な情報の部分と別れてしまったものである。これについてはかつて「忘れる技術」という本を書いたが、記憶は認知的(「頭」の)部分と情緒的な部分と情緒的(「体」の)部分の組み合わせであるという説明の仕方をした。前者は時空間的な情報の部分であり海馬で作られるが、後者は扁桃核や小脳で作られる。一般的な記憶はその両方を備えているのがふつうであるが、それが分かれてしまい、例えば体の部分のみになってしまったり、両者はバラバラに思い出されると言ったことがトラウマ記憶の特徴であると説明した。Fukushima, H, Zhang, Y & Kida, S (2021) Active Transition of Fear Memory Phase from Reconsolidation to Extinction through ERK-Mediated Prevention of Reconsolidation. The Journal of Neuroscience 41:1299-1300.

さてその上で喜田グループの研究である。彼らはPTSDで生じるようなフラッシュバックを伴う記憶がどのように形成されるかを長年にわたって研究してきた。フラッシュバックとはあることを思い出そうとしないのに突然襲ってくる記憶である。それはトラウマ記憶として理解でき、つまり認知的部分と情緒部分が分かれてしまっていて、襲ってくるのは情緒的な部分のみである。それは自分でもよく分からないような何らかの切っ掛けで突然襲ってくる。その詳しいメカニズムは十分に分かってはいないが、一つたしかなのは、その記憶の想起の仕方が、その後その記憶がどの様な運命をたどるかに関係しているという事である。特に興味深いのは、トラウマ記憶は、そしておそらく記憶一般は、それを思い出すという事で一時的に「不安定」になるという事だ。不安定、とはそれがその後より強く記憶され続けるか、それとも忘れられていくかという選択肢を与えられるという事である。比喩を用いるならば、それまでパズルの一つのピースとして治まっていたものが、それを思い出すことでそこから外れ、それから先にどのような形で嵌っていくかが未定になるという事である。そして彼らが見出したのは、トラウマ記憶を思い出す時間が短いと、その記憶はよりしっかりと定着し(つまりそのピースはよりしっかりと嵌り)、思い出す時間が適度に長いと(例えば10分以上)それは薄れる方向に働く(つまりピースはサイズが小さくなったり、より外れやすくなる)という事だ。これを私はサラッと書いたが、実は臨床的にとても大きな意味を持つ。ある種のトラウマ記憶を短時間思い出しただけではそれは消える方向にはいかない。どうせ思い出すなら、安全な環境で3から10分以上思い出す必要があるという事だ。そしてひょっとしたらこのことは、EMDRがどうして有効な場合があるかとも関係しているかもしれない。EMDRではかなり時間をかけて個々のトラウマ記憶を想起し、作業を加える。それがその記憶の消去に繋がるのではないかという考えにも一理あるだろう。

 もう少し解説が必要だろうか。トラウマ記憶を想起させると、その時間に応じて3つのフェーズに分かれるらしい。再固定化期(最初の1分)、移行期、消去期(3から10分)である。大切なのは、再固定化も消去も、タンパク合成が伴うという事だ。つまりはシナプスを工事しなくてはならない。(忘れると言ってもただで忘れていく、というわけではないのかもしれない。例のエビングハウスの曲線も、ただダラダラと下がっていくのではない???ここら辺は筆者にもよくわからない。)そのことはタンパク合成を阻害する薬を注入すると、再固定化も消去も両方とも阻害されるということからわかるという。ちなみにタンパク合成が行われるのは、再固定化なら扁桃核と海馬であり、消去は扁桃核と内側前頭前野だという。

 ところでこの再固定化や消去という現象はこの論文の主たるテーマである「偽りの記憶」とどのように関係しているのだろうか?一つ言えるのは、ある記憶が再固定化を繰り返した場合に、その内容にどのような変化が起きるのか、という問題が関係しているであろうという事だ。例えば記憶内容は「コンビニにコーヒーを買いに行った」だとしよう。その記憶が増強されていったら、その記憶にいろいろな尾ひれがついていくのであろうか? 例えば実際にコンビニにコーヒーを買いに行った場合、コンビニに行く途中で体験したこと、コンビニでほかに手にした商品についての記憶なども一緒に覚えているであろうが、だんだんエビングハウスの曲線に従って忘れていくであろう。ところが「コンビニにコーヒーを買いに行った」という事だけが再固定化されて増強していったら、途中で見たものなども一緒に残っていくのか、それとも「新たな尾ひれ」も誤って付け加わるのか。想起されるのがコンビニにコーヒーを買いに行ったことだけであるなら、それが生々しく保存する際にはその周辺部も必ず一緒に思い出される筈である。するとそれが新生されてしまうことはないのか。おそらくこの辺が偽りの記憶とも関係しそうである。なぜならロフタス先生をはじめとするFMS派の先生方の実験は結局は子供に架空の話を何度か教示することでそれが定着してしまうというパラダイムに従っているからだ。