2021年10月7日木曜日

解離における他者性 6

 この「ヒステリー研究」においてフロイトが身をもって示した、私が「卓袱台返し」と表現した理論の変更はその後に解離に関する理解のされ方に大きな影響を与えた。ここで少し図に描いて、ブロイアーとフロイトの考え方の違いを浮き彫りにしたい。

 ここでこの図に描いたのは、ブロイアーの類催眠状態を説明したものである。左側がもとの心(意識A)がトラウマを受けて意識Bが出現した図式で、これがブロイアーの考えた心のモデルであった。ある種のトラウマが起きると、そこで意識が二つに分かれてしまう。他方右側の図はフロイトの図式である。まず心の中で、切り離したい部分を切り離すという、ある種の意図的な努力がなされる。それが青い心の中に出来上がってきた赤い丸の部分である。つまりいきなりひょっこり心が外に生まれるというような、オカルト的なことは起きない、とフロイトは考えていたことになる。
 先ほど引用したフロイトの言葉によれば、彼はこのように意識が分離して異なる人格が存在した例を自分も体験したと言っているわけだ。でもフロイトが一番反対したのは、トラウマと同時に自動的に意識が分かれる、あるいは出来上がるという現象についてである。フロイトはそれは心があたかも自動的に二つに分かれるようで、とても重要な点が抜け落ちていると考えた。それはその部分が防衛的に切り離されたというプロセスを説明していないという事である。それが右側の図に相当し、この後者の考え方は力動的という事になる。フロイトはこのように、心の中で起きることには、意識的、ないしは無意識的な何らかの動因、理由が存在すると考えたわけだ。そしてそれこそが心の理解の正しい方法であり、ブロイアーの理論にはそれが見られないと批判したのである。ただしこの後者の説明の仕方は、解離性障害を考える上では必ずしも現実的でない場合が多い。
 ここで一つの例を考えよう。ある優しい女性が荒々しい男性の人格を持っているとする。ブロイアーによれば、それは何らかの外傷、例えば暴力的な男性による性的外傷を受け、心が催眠にかかったような状態(類催眠状態)になって生まれたという説を唱えたわけである。ところが同じ状況にフロイトの理論を当てはめたならば、その男性人格は、その心優しい女性が自分から切り離したい部分、例えば男性的で暴力的な部分を徐々に作り上げていたのだ、ということになる。
 ところがどう考えても解離により生じる人格部分が自分の一部が分かれたものだとは説明しにくい例に出会う。むしろトラウマを受けたことが切っ掛けで突然心が出現するというパターンが多い。こちらは何か不思議なオカルト的な現象とお考えかもしれないが、私の臨床感覚ではこのようなことが起きる様である。それが最も典型的な形をとるのが憑依体験であろう。憑依においては突然ある種の霊的な存在が外側から入り込んで憑く、という現象が起きる。自分の心が分かれるのではない、という一番分かりやすい例ではないだろうか。
 ちなみにジャネはこの意識が分かれるか否か、という問題に関して、以下の文章を残している。 

The unity of the primary personality remains unchanged; nothing breaks away, nothing is split off. Instead, dissociated experiences () were always, from the instant of their occurrence, assigned to, and associated with the second system within.   Pierre Janet

 私は解離が生じるときには突然心が割れるのだ、というオカルト的なことが本当に起きるのかと心配になる時、よくこのジャネの言葉を思い出す。それを日本語に訳そう。
「(解離が生じる際にも)主たるパーソナリティの単一性は変わらない。そこから何もちぎれていかないし、分割もされない。解離の体験は常に、それが生じた瞬間から、第二のシステムに属する。」

ジャネの本にあまり図は出て来ないのですが、この図(省略)は有名で、解離した心的内容がPという心の集団の外側に描かれている。