2020年10月18日日曜日

ポドキャスト 日本語版 3

 さてこのポドキャストで私が二番目に論じたいのは、私の臨床及び研究の関心事であるトラウマと解離についてです。恥や対人恐怖というテーマは私が最初から興味を抱いていた、そして自分自身にとっての問題でもあるテーマだったわけですが、トラウマや解離はそれらとは異なり、私が臨床を行っていてやむなく直面した問題でした。

私が米国に留学した1980年代の後半は、トラウマ関連疾患、例えばPTSDや解離性障害がアメリカの多くの臨床家の関心を集めつつありました。メニンガー・クリニックではトラウマを受け患者さんたちの入院が増え、治療者たちもそのような人たちにどのような対処をしたらいいかについて頭を悩ませていました。そしてメニンガーのスタッフの大半を占める精神分析的なオリエンテーションを持った治療者たちの考え方を少しずつ変えるようになっていました。メニンガーの精神分析家たちも、最初は解離やトラウマの患者さんたちを分析的に扱うことに及び腰になっていましたが、そのうち深刻に取り扱うようになりました。最初の頃は私もケースカンファレンスで幻聴に悩まされた患者さんに多重人格の診断が付けられているのを聞いて、にわかには信じられませんでした。私は多重人格という現象そのものを信じていなかったわけです。

ところが私がメニンガーのレジデントのトレーニングの一環で担当していた精神療法の若い女性の患者さんが一年くらいのセッションを続けたころに、ある日のセッションで彼女の受けたトラウマの話をしていて、私の目の前で人格が変わるという事が生じました。私はその時、それまで精神分析協会で学んでいたことを総動員しても、どのようにその様な状況に対処したらいいかが分かりませんでした。

私はこうして人の心の働きについて根本から考え直さなくてはならないという事を学び、精神分析的に正しいやり方とは異なるアプローチについても知るようになりました。また私の受けていた分析協会でのトレーニングでもトラウマや解離を精神分析の文脈にいかに位置付けるかについての多くのヒントも与えてくれていることに気が付きました。分析協会の授業では何しろフロイトのスタンダードエディションを何冊も読む機会がありましたから、フロイトの著作にも実はトラウマの理論に関するいくつものヒントが隠されていることも知りました。これは非常にありがたいことでした。こうしてトラウマと解離というトピックは私にとってのもう一つのライフワークになりました。

それ以来私は伝統的な精神分析が解離の問題、すなわちフロイトがそのキャリアーの初期に棄却したこの概念が、いかに精神分析と折り合いをつけることが出来るかについて考え続けています。私が最近特に関心を持っているのは、解離性同一性障害における交代人格が独立した固有の人格として扱われるか、それとも断片としての存在なのかという事です。私は最近「解離性障害における他者性」という論文を2019年にEuropean Journal of Trauma and Dissociation という専門誌に発表いたしました。そこで私は現代の臨床家は交代人格の固有性を十分に認めない傾向にあるという事も論じました。そしてこの傾向は、実は人格の分裂がいかに起きるかについての、フロイトとジャネの論争に端を発しているのではないかと論じました。ジョン・オニールという学者がこんなことを言っています。そもそも1900年代の初頭に臨床家たちが盛んに論じていた「意識の分割 splitting」という概念がありますが、それには分裂 division と増殖 multiplication という別々の意味があり、前者は意識が二股に分かれるものの、もとは繋がっているという考えであり、後者はまさに二つの意識が生まれるという意味があります。前者はフロイトの考え方、後者はジャネの考え方というわけです。つまりフロイトにとっての分割は繋がっている心が二股、あるいはそれ以上に分かれただけである、もとは一緒だ、だから最終的には統合しましょうという立場であり、ジャネによればいや、意識が複数でき上るのだから、統合は無理です、という立場になります。そして前者の考え方が最近精神分析の内側で論じられている解離についても、精神分析外での解離も、優勢になっているという事情があるのです。

この点について論じている中で、私は G. Edelman と G Tononi.によるダイナミックコア理論を援用しています。彼らは2000年に発表された「A universe of consciousness 意識の宇宙」という著書の中で、意識とはニューラルネットワーク、つまり神経細胞と神経線維からなるネットワークにより構成されていると説きます。そしてそのネットワークとは大脳皮質と視床や辺縁系との緊密な情報の双方向のやり取りによって生み出されるものだと考え、それを「ダイナミックコア、力動的な核」と名付けたのです。私はこれを読みながら、ダイナミックコア一つが意識に対応しているのであれば、それが複数脳内に存在すれば、人格一つ一つが個別のダイナミックコアを有しているという事が可能性としてあるのではないかと考えました。いみじくもこの本をよく読むと、エデルマンとトノーニは、精神的な病は、実はこのダイナミックコアが複数存在するという事態ではないかという予測を行っているのです。そして例えばそれが統合失調症と多重人格においてそれが生じているのではないかという予測すらしています。もしこれが正しいとすれば、交代人格たちは一つ一つのダイナミックコアをあてがわれていることになり、それぞれの交代人格の固有性、個別性はこの生物学的なモデルにより保証されることになるのではないかと考えています。

私の最近の関心事は、精神分析的な理解と大脳生理学がいかに関連付けられ、統合されるかという事です。最近精神分析家のシェルドンイスコヴィッチという人は「解離的な転回 dissociative turn」という概念を提唱しています。これは解離という現象について考えることで、精神分析は心についての新たな見方を獲得するであろうという事です。最近のフィリップ・ブロンバーグやドンネル・スターン、エリザベス・ハウエルなどの分析界におけるパイオニアたちは、精神分析における解離を盛んに論じている状況にあります。そしてそれは分析の範疇に属さなかった領域、例えば脳科学やトラウマ理論を精神分析に呼び込むことで、精神分析をより豊かなものにすることに貢献していただけるのではないかと思います。