2020年3月6日金曜日

揺らぎ 推敲 7


これまで主として物質に見られる揺らぎについて述べてきたが、揺らぎの問題は結局はランダム性や予測不可能性に通じているということをお伝えできたのではないか? そう、世界が揺らぎで構成されるということは、世界での出来事は、そして人の心は基本的にはランダムウォークであることを意味するのである。
ランダム性とは出来事に規則がなく、将来を予想できないという事である。このことに人類は薄々と気がついてはいたらしいが、最近になり、ようやくそれが明らかになりつつあるというわけだ。そしてそれ以前は、人類はみなことごとく運命論者であったと言えるだろう。「未来は決まっている。ただ人間はそれを知らないだけで、全知全能の神ならそれを知っている」と考えたわけだ。そして精神の高みに至った人のみがその未来を予言する力を得るとも考えられていた。あるいは科学の発展によりそれをより正確に予想できると考えた人もいただろう。
しかしその科学がある程度進んだ段階で、私たちは世界が不確定性に支配されていることを知るに至った。あらゆる出来事の根底にランダム性があり、未来は原理的に予想不可能なのである。たとえば半年後の今日、空が曇っているか快晴かは全くといっていいほど予測が付かない。チンチロリン(どんぶりとサイコロを用いた一種の賭けごと)で小銭を儲けようとしても、一回振るごとに次はサイコロのどの目が出るかはわからない。あるいは今日の夕方東京発650分の新大阪行きの新幹線が、途中で事故もなく目的地に定刻に着けるかは、実際に乗車してみないとわからない。
ただしそのような不確定の世界に生きている私たちは、先のことが見えないのは不安で仕方がない。そこで何らかの規則を持ち込んで、なるべく生活しやすく、混乱が起きないよう工夫をする。会議は定刻に始まり、仕事はほぼ定刻に終わる。バスはほぼ定刻にバス停にやって来る。
およそこの世に起きることは、かなり規則正しく、その予想が確実にあたる事柄から、全く予測が出来ないことまでのスペクトルを形成している。100%確かなことは、人はいずれは死ぬことであろう。99.9999999999999999999999999…… %確かなことは、明日陽が東から出て西に沈むこととなどが例として挙げられるかもしれない。それより確実さの度合いが下がるものとしては、一分以内にこの場所で震度7クラスの大地震が起きない確率や、自分が一分以内に心臓発作で死んでしまうことがない確率などだろうか。これは99.9999%というところだろうか。反対側のスペクトルには、サイコロを振った時に出る目が偶数である確率、25時間後のある銘柄の株価の上昇する確率、次の一分以内に起きる震度1の地震の回数などが相当するかもしれない。そして私たちが日常生活で非常に多く体験している事柄は、「おそらく~となる」という類のものであり、この両極の間をびっしり埋めているのだ。