2020年1月11日土曜日

ポリヴェーガル 2


ところで私たちは「自律神経」をどのようにとらえ、理解しているだろうか。おそらく全然その本質を理解していないし、実は私自身もそうなのだ。「自律神経失調症」という言葉は非常によく聞くが、使っている方も、それを聞いたほうも、実はその内容を理解していないで、なんとなく言葉の雰囲気に納得しているということではないか?自律神経とは何か、と言われても一言では答えられない。それはそこに含まれる要素があまりにも多いからだ。「体調が悪い」ってどういうこと、というのと似ている。実に様々な「体調の悪さ」が存在して、とても一言ではくくれない。
一般の方々にとっては、自律神経が何であろうとあまり重要ではないかもしれないが、精神科医としては、次のようなことが起きて、問題の深刻さを味わう。ある体の症状、例えば食欲のなさをうったえる人が、内科医を訪れるとする。しかしその医師ははっきりした医学的な所見を見出せないとしよう。そこで説明を患者さんから求められた医師は「うーん、自律神経のせいでしょう・・・・。」などと説明するのだ。そして患者さんが精神科にかかっているのを知ると、力を得てこう伝えるはずだ。「じゃあ、ぜひ精神科の先生に相談してください。」そして患者さんは精神科医のもとに戻り、こういう。
「先生、自律神経の薬をください。」
「でも・・・・」と私は心の中でつぶやく。「私はその薬をこれまで出してきたつもりなのですが…。」
ここで起きていることを説明しよう。すでに言ったとおり、自律神経の乱れ、あるいは失調、とひとことで言っても、実に様々である。それはいわば体のコンディション全般に及んでいると言ってもいい。そして心の乱れは自律神経の乱れを生みがちだし、自律神経の乱れは心の乱れ、例えば鬱とか不安とか苦痛を生む。このように両者は相互関係にある。そして大抵は「どちらが先」かが分からない。
例えば気持ちが落ち込んでいる人が、夜の不眠を訴えているとする。睡眠のリズムを調節するも自律神経の大事な機能だ。すると何らかの原因、例えばカフェインの摂り過ぎや夜遅くまでのスマホのゲームでまず睡眠障害が起きて、それが抑うつ状態を引き起こしたのかもしれないし、鬱が最初で眠れなくなったということかもしれない。ということは鬱に対する薬(抗鬱剤)を出すことで、鬱をまずよくすることを考えたら、鬱に伴う自律神経症状も改善していく可能性がある。だから自律神経全般の乱れを改善することで睡眠障害を直す、とすると、それはもう精神科の症状に対する治療そのものということになるのだ。
さらに大事なことがある。自律神経全般を改善する薬、というのが、実は存在しないのだ。先ほど言った通り、自律神経の状態とはもう、体全体の状態と言っても言い過ぎでないほどに、それが含む機能は途方もなく多い。自律神経をあえて定義するとしたら、意識的にコントロールできない、その意味でそれ自身が「自律的」な神経系の全体、ということになる。そしてそれは心血管系、消化器系、内分泌系、体温の調節、睡眠など、様々なものに及んでいる。自律神経、という神経が一本体にとおっていて、それが正常に働いているか、異常をきたしているか、というのとはわけが違う。血圧ひとつとっても、高すぎるのも、低すぎるのもどちらも自律神経系の異常ということになるが、使う薬は正反対だったりする。だから自律神経の乱れそのものを治す薬、というのが存在しないというわけなのだ。
自律神経の本質はこう言いかえてみるといいかもしれない。「自律神経は、体の諸機能のバランスを取る神経系統である」と。血圧も脈拍も、体温も、腸の動きも、昂進しすぎず、低下しすぎず、ちょうどいいバランスが取れることが自律神経の目標だ。それはそうだろう。例えば腸の動きのバランスが崩れた状態は、下痢になったり便秘になったりして大変だ。日常生活を大過なく送っていかなくてはならない私たちにとっては大迷惑だ。私たちが「普通」でいられることは、実は自律神経の微妙なバランスの上にあるということなのである。そしてそのバランスは、ちょうど左右のバランスの取れた天秤のように、様々な理由でいとも簡単に崩れる。自律神経の失調とはそういうことだ。
だからもし自律神経を一律に改善する薬を考えるとしたら、精神の安定を目指すということになる。自律神経の全体の失調がうつ病によって引き起こされているという場合には、鬱の治療が結局は自律神経全体の治療ということになるわけだ。
ここまででなぜか自律神経の失調と精神疾患をあまりにも結び付けて考えているのではないか、という疑問の声が聞こえそうだ。精神の変調をきたすことのないような自律神経の失調があってもいいのではないか。あるいは自律神経の失調を伴わない精神の変調があってもいいのではないか、という意見もあるだろう。でも私は精神疾患で身体症状を伴わないものをほとんど知らない。睡眠や食欲や脈拍や呼吸などが一切問題なく、ただ症状に悩まされるという状態は、普通起きない。軽症ならありうるが、深刻な症状にはほぼ必然的に自律神経系の症状がともなうのだ。また自律神経の症状に悩まされながらも精神に影響を与えないことは理屈ではあり得ても、臨床上は考えられない。第一苦しむ、ということはすでに精神の症状ではないか。このように精神の症状と身体の症状はほとんど連続的であることがわかるだろう。
ところで慧眼な読者は今、身体症状と自律神経症状を私が一緒のものとして使いそうになったことにお気づきだろう。この説明も厄介だが、自分の考えをまとめる意味で、少しふれておこう。
体の症状の少なくとも一部は自律神経の失調を指すと見ていい。動悸がする、緊張して胃が痛い、あるいは下痢をする、多量の汗をかく、などはまさに心臓や消化管や汗腺の活動を支配している自律神経の失調の結果だ。ところが頭痛がする、腰痛がする、体が怠い、というのはどうだろうか。頭痛なら脳の血管の拡張が原因ならそれは自律神経だが、坐骨神経の一部が脊椎の変形した骨に物理的に圧迫されている結果かもしれず、こちらは自律神経の問題とは言えないだろう。また怠さは様々な医学的な原因から生じるとすれば、これだって自律神経とは言えない。それこそビタミンの欠乏でだってだるさは起きうる。だからひとことで身体症状と言っても自律神経の関与は様々ということになる。
ところが例えば腰痛を持つ人に神経学的な検査をしても何も異常が見つからない時、神経内科医は「自律神経の影響でしょう」、とか「ストレスでしょう」、と言うだろう。つまり医学的に原因の不明な痛みは、自律神経のせい、ストレスのせい、ということにされてしまうし、その意味で原因のわからない体の症状は皆一緒くたに扱われるのが現状である。そしてそれをジリツシンケイのせい、と言っても誰もそれを問題にしないし、むしろそれがスマートな表現ということにさえなる。