2019年8月12日月曜日

神経ダーウィニズムと揺らぎ 4

例えば一角(イッカク)という奇妙なクジラをご存じだろう。一角が生まれたのは環境に適していたからだろうか? 一角が角のような、しかし実は切歯が進化したような棒をタラの群れに対して振り回してたまたま打たれて弱ったタラを捕食するという得意技を身に着けていたとしても、それが生存に役に立つのであれば、どうしてほかのクジラや魚たちも角を持たなかったのか? 結局一角の角(というか歯)は、ほんのたまたま突然変異である雄に生じ、それが優先遺伝として受け継がれていっただけではないか、というような議論と似ているのである。(なんだか、一角の角のコレクションをしたくなったなあ。でもカミさんは絶対反対するだろう。いるんだろうか? 一角の角コレクター?
  

思考にしろ発話にしろ、楽器の演奏にせよ、時間軸上に展開する(つまりダイナミックな)活動の展開の仕方は、間断なき大脳皮質のテリトリーの奪い合いだ、ということをカルヴィンに示唆された時、すごく合点がいったのを覚えている。そしてそのプロセスが概ね非意識的に行われ、そのプロセスを開始する指令を出したり、その結果を受け取ったりするときだけに意識が働く、というのはまさにその通りということになる。そして非意識的な活動からどうして文法にかなった文章が出てきたり、あるいは楽譜通りのメロディーが紡ぎ出されるかは、そのダーウィン的な精神活動の進行が、かなりパターン化されていることを意味するのだ。