2019年1月9日水曜日

忘れていたCPTSD 2


そもそもCPTSDとはどのような病理なのかについて復習しよう。CPTSDPTSDという直接のトラウマによる症状とともに、否定的な自己観念と関係性の障害に特徴づけられる自己組織化の障害が見られるということである。つまり繰り返されるトラウマにより、自己自身に生きる価値を見いだせず、安定した相互的な対人関係を持てない状態である。ここでは基本的に愛着の関係を持てずに人との関係を持てない場合を主とさすのであろうが、それ以外にも成人以降にも生じうる災害やトラウマ、ICDの記載によれば「拷問、奴隷、集団抹殺」といったホロコーストでの体験を髣髴させるようなものも含む。これは一度は成立していた愛着上の問題が破壊ないし再燃された状態と見ることが出来るだろうか。ここで留意するべきなのは、CPTSDにおけるDSOdisturbances in self-organization 自己組織化の障害は自己イメージの問題にとどまらず、対象イメージの深刻な障害が伴っていることである。人を信用できない、自分に対して何らかの脅威となりかねないと感じるという傾向は、その人の社会生活をますます非社交的で狭小なものにする。それは対人交流や親密な関係、職業の選択などに深刻な影響を及ぼすであろう。そのような患者との治療においては、比較的安定な関係性を結ぶことそのものが重要な目標と考えられるだろう。
私はトラウマの犠牲となった患者さんに対して以下の5つの項目を挙げて治療を行うことを推奨している。それらは  トラウマ体験に対する中立性、「愛着トラウマ」という視点、 解離の概念の重視、 関係性、逆転移の視点の重視、倫理原則の遵守である。以下に特にCPTSDを念頭に置きつつこれらの項目について論じたい。
1点は、治療者は中立性(岡野、2009)を保ちつつ治療を行わなくてはならないということである。ただしCPTSDを持つ患者に対する中立性とは特別な意味を持つ。それは決して患者に対して行われた加害行為そのものに中立的であることではない。つまり「加害者にも悪気がなかったのかもしれない」「被害者であるあなたにも原因があった」、という態度を取ることではないのである。むしろ「いったい何が起きたのか?」「加害者は何をしようとしていたのか?」「何がトラウマを引き起こした可能性があるのか?」、「今後それを防ぐために何が出来るか?」について治療者と患者が率直に話し合うということである。ただしこのような意味での中立性さえも、患者には非共感的に響く可能性がある。被害に遭った患者の話を聞く立場として、治療者が患者に肩入れをして話を聞くことはむしろ当然のことと言わなくてはならない。それなしでは治療関係そのものが成立せず、治療者が上述の意味での中立性が意味を成す地点まで行き着けないであろう。
ここで言う中立性を、精神分析における受け身性と同じものと考えるべきではない。たとえば患者が過去の虐待者に対して怒りを表明しているという場合を考えよう。もしそれに対して治療者が中立性を守るつもりで終始無表情で対応した場合,患者は自分の話を聞いて一緒に憤慨してくれない治療者に不信感を抱くかもしれない。患者は場合によっては治療者がその虐待者に味方していると感じるであろう。もしそれにより治療者と患者の間の基本的な信頼関係に重大な支障をきたすとしたら,そのような対応は非治療的なものと考えなくてはならない。したがって患者によっては分析的アプローチを保つことに固執せず,治療者が必要において態度表明や感情表現をすることが,重要な場合があるのだ。
 また治療者が感情表現をすることが治療的であるとばかりは言い切れない。患者によっては,治療者が一切の感情表明をひかえて受け身的に話を聞いてもらえることを何よりも安全に感じる場合もあるかも知れないのである。このように個々の患者の特殊性を十分に理解し,それに柔軟な対応を示す姿勢こそが重要なのであり,そのような態度が真の意味での中立性と言えるだろう。