暴力や攻撃性は本能なのか?
暴力は一向に私たちの社会から消えてなくならない。地球上のあちらこちらで殺戮が繰り返されている。東西の冷戦が終焉したかと思えば、局地的な紛争はむしろ多くなっている。テロ行為も頻繁だ。米国では発砲事件が、銃のない日本でも殺傷事件が頻繁にメディアをにぎわしている。
しかし人が人を殺める、暴行するというニュースが絶え間ない一方では、その頻度や程度はおそらく確実に減少している。古代人の遺骨を見る限り、男性の多くが他殺により世を去っていたことがうかがえるという(1)。国家の統治機構が成立し、民主的な政治体制が整う前には、人が人を害するという行為はその多くが見過ごされ、黙認されてきた。(非民主的な政治体制では国家による人民の殺害こそより深刻だろう。現代社会においてすら、その例の枚挙にいとまはない。)加害行為の頻度の減少は、文明が進み人間の精神が洗練されたというよりは、むしろ個々の犯罪が公正に取り締まられ、DNA鑑定や防犯カメラなどの配備により犯人が特定される可能性が高まったのが一番の原因ではないか?
私が以上のように述べれば、「人間にとって暴力や攻撃性は根源的なものであり、本能の一部である」と主張していると思われかねない。しかし私自身は、暴力や攻撃性は人間の本能と考える必然性はないという立場をとる。暴力行為が一部の人間に心地よさや高揚感をもたらし、そのために繰り返されるという事実は認めざるを得ない。ところがそれは暴力が生まれつき人間に備わったものであることを必ずしも意味しない。一部の人の脳の報酬系は、暴力行為により興奮するという性質を有するために、それらの行動を断ち切ることが難しいという不幸な事実が示されているにすぎないのだ。
暴力には様々な形態があるが、このうち一部の暴力は、その根拠が明確であり、納得もしやすい。例えば他者からの攻撃を受けた際に発揮される身体的な暴力などだ。これは防衛本能の一部として理解されるべきであろうし、そこには正当性も見出せる。しかし暴力は時には正当な防衛を超えて過剰に発揮されたり、触発されることなく暴発して、罪のない人々を犠牲にしたりする。私たちが心を痛めるのは、この過剰な、あるいは見境のない暴力行為なのである。「なぜこのような残虐な行為をするのだろうか?」「原因は何なのか?」「再発を防ぐ方法はあるのだろうか?」と私たちは途方に暮れる。そして同時に心の中で次のような疑問を抱くかもしれない。「もしかして私の中にもこのような怒りや暴力が潜んでいて、いつかは爆発するのだろうか・・・・・」。この恐れもまた決して侮れないのだ。
本章は精神分析においてしばしば問題となる暴力や攻撃性の問題に一つの理解の方向性を示すことを目的にしている。私は精神科医であるから、その視点や方向性も「精神医学的」となる。暴力への理解はいまだに錯綜し、未整理のままに多くの理論が提唱されているとの印象を受ける。それは暴力をいかに封じ込めるか、あるいはそのようなことが可能なのか、という議論についてもいえる。そこで私の立場を最初に示すならば、それは暴力を一次的な本能として捉えず、もう少し広い視野から考えるというものである。この点について、以下にまず示したい。
すべての源泉としての「活動性と動き」
暴力や攻撃性が本能か否かは、心の深層に分け入ることを専門とする精神分析の世界でさえ見解が大きく分かれている。フロイトが破壊性や攻撃性をその本能論の中で説明したことは知られるが、必ずしもそれを支持しない分析家も多い。攻撃性や暴力を本能と見なす根拠はないというのが私の立場であることはすでに述べたが、実は心の世界では「存在しない」ということの証明は難しい。むしろ攻撃本能がたとえあったとしても、幼児期に見られる攻撃性や暴力は、それ以外で説明されてしまうことがほとんどである、ということを私は示したいが、それは精神分析ではD.W. ウィニコットの立場に近い。ウィニコットは攻撃性を本能としてはとらえず、その由来は、子宮の中で始まる活動性activityと動きmotility であるという(2)。
乳児が体を動かし、声を上げることで、それが周囲を変える。例えば手にあたった物が倒れ、また声を聞きつけた母親がとんでくる。ウィニコットはそれが真の自己の始まりであるという。これはあくまでも外界からの侵襲による子供の側の反応としての活動ではないことに注目するべきである。自分が動き、世界にある種の「効果」を与えることが、自分が自分であるという感覚、すなわち真の自己の感覚を生むのである。この「効果」に伴う充実感は、例えばホワイト(3)の言うエフェスタンス(動機づけ)の議論につながる。彼は生体は自己の活動により環境に「効果」を生み出すことで、そこに効能感や能動感を味わうと考えたのである。
以前プレイセラピーをしていた時のである。2歳の少年が積み木で遊んでいるところにちょっかいを出してみた。彼がまだうまく積み木を積めない様子を横目で見ながら、私は悠々と5つ、6つと積み上げてみる。それに気が付いた子供は憤慨したようにそれを崩した。私は頭を抱えて大げさに嘆いて、再び積み出す。子供が再びそれを崩し、私は悲鳴を上げる。そのうちそれが一種の遊びのようになって二人の間で繰り返された。