2016年1月14日木曜日

私にとっての対象関係論(4)


ナンか、両方の話がダブってきたぞ。よくある現象だ。

トラウマ理論の隆盛は、一つには実際のトラウマが生じているエビデンスが至る所から生じてきたということがありました。フロイトが幼児における性的誘惑の問題は必ずしも実際に起きたことではなかったというのは事実でも、それは性的虐待の実数を減らすことにはつながりません。トラウマは、力の強いものが弱いものを蹂躙するという現象は、至る所で、人類の歴史の始まりから生じていたわけです。要はそれが明らかになってきたというだけの話であり、これは必然的に起きてくることだったわけです。現実で起きていること、実証的なデータが裏付けることというのはいずれ明らかにされ、学問を変えていきます。そして同様のことが起きたのが、愛着の問題に関する研究だったわけです。愛着理論はそれこそボウルビーやスピッツにさかのぼるわけですが、ほかの精神分析理論との決定的な違いがありました。それはある意味ではトラウマ理論と同じ性質を持っていました。つまり実証的な研究ということがなされたわけです。乳幼児研究は精神分析の分野では珍しく、科学的な実験が行われる分野です。その結果としてエインスウォースの愛着パターンの理論、そしてメアリー・メイン成人愛着理論の研究と、とどまるところを知りません。そして最近になって顕著に知られるようになってきた、やはりアラン・ショアの愛着トラウマの議論があります。
ショア先生は驚くべき人で、分析の世界に居ながら、同時に脳科学者でもあります。そして愛着の形成が、きわめて脳科学的な実証性を備えたプロセスであるという点を強調します。彼のおかげでそれまで脳科学に関心を寄せなかった分析家達がいやおうなしに彼らの理論がよって立つべき大脳生理学との関連性を知ることを呼び失くされたわけです。
以下は最近このブログでも書いたことですが、乳児は最初の一年間で、母親と乳児の間できわめて重要なコミュニケーション、ショア先生のいうところの右脳間でのコミュニケーションが行われ、そこで精神生物学的な意味での情動的な調律が行われることになります。この時期に乳児の大脳皮質は十分発達していません。というか今後のその発達を支える意味での情動調律という名のグラウンドワークが、母子間で行われるのだ。そこでは匂いや音、皮膚感覚などを通して、大脳辺縁系でのコミュニケーションが行われ、乳児の覚醒レベルが維持されていくのです。そこで大切なのは、刺激が大きすぎず、少なすぎずということです。そしてそこでは母子が情緒的にシンクロしているということでもあります。もしそれが起きないと、一種の衝突が起き、これはショア先生が「間主観的衝突」と呼ぶものだが、乳児の情緒不安定の成立の妨げにつながる。これとトラウマを呼ぶことは出来ないまでも将来トラウマを受けやすいような素地を生むと言っていいでしょう。これをさらに具体的に、ショアやブロンバークは自律神経の過覚醒、「正気を圧倒し、心理学的な生き残りを危うくする、混とんとして恐ろしい情動の洪水」とし、それが解離につながると説明するのです。
この最初の一年間を、心という建物の基礎工事と考えていただきたい。愛着トラウマは基礎を打っている時に起きる様々なストレス、嵐や雷、くい打ちをしている業者のうっかりや設計業者の怠慢による十分な深度への不達成(そんなニュースがあったな)などによりぐらぐらになりかねません。ジャネが言った先天的な弱さによる解離も、フロイトが考えた葛藤を持つことへの堪えがたさからくる意識のスプリッティングも、結局は同様の素地に由来することがあります。この心という建物の基礎工事がいかに成立しているか。そしてもちろんそこには母子間の愛着の成立の成否が抱えいるし、子供の側の先天的な問題も深刻な影響を及ぼす、というわけです。
 考えてもみましょう。折れ線型の自閉症を発症する運命になる乳児にいかに完璧な愛着の形成を求めても、そのためにいかに情緒的に安定した献身的な母親が用意されていたとしても、それは無理な相談というわけです。
ところで先ほど「自律神経の過覚醒」と述べたが、ショア先生はこれをさらに詳細な研究と結びつける。それが最近特に話題になっている、ポージスの理論である。簡単に言えば、副交感神経系には二種類があり、腹側迷走神経は、通常の適応につながるが、ストレス下では背側迷走神経という、いわばアラーム信号に匹敵するシステムが働き、低覚醒状態、痛み刺激への無反応性を生む。いわば解離が生じるためのメカニズムが発動するのである。
もうこれ以上詳しい話はいいだろう。トラウマの理論は結局は解離の話につながるということはもういいだろう。