2014年1月15日水曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(31)

対人恐怖と自己愛という問題
ところで、私は自己愛とか恥の問題について以前から関心があったが、そもそもどこからその関心が来ているかを考えてみる。
私は基本的には「モノづくり」が好きである。小学校時代など、事業をしていた実家の庭先にいくらでもある廃材や工具をつかって色々なものを作った。(ギターを作ったことをずいぶん前にこのブログで書いた。)「本作り」も好きだった。詳しい話は省くが。野球のグラブやミットも作った。ひどい出来だったが。出来上がったものを人から評価されるのは嫌いではなかったが絶対条件というわけでもなかった。少なくとも親から褒められるために作ったという記憶はない。でもなんだかんだ言って、夏の工作を9月の新学期の初日ににせっせと学校に運んだところを見ると、人に評価されることはかなり大きな部分を占めていたらしい。とにかく純粋に思い描いたものを自分の手で作るのが好きだったというわけでもなさそうだ。また子供時代はひどい田舎に住んでいて、近くに友達がいなかったことも「制作活動」と関係していたかもしれない。とにかくこちらは私の「自己愛的な部分」としよう。
さて他方では、私は「人嫌い」なところがあった。これはむしろ思春期以降だ。子供時代は非常に人懐っこく、家に来たお客さんにはすぐに遊んでもらうタイプだった。ということは多くの対人恐怖の患者さんのように、思春期以降「発症」したのかもしれない。といっても特に症状はなかったが、とにかく自意識過剰になったのだ。人前に出るのはむしろ苦痛になった。というより人前で何かを行うのが嫌になった。それでも高校の文化祭などで、人前でギターを弾いて歌ったりしていた。あれはなんだ?そう、一部は仕方なく、他方では自分の存在をわかってほしいと思っていたからかもしれない。こちらは「対人恐怖的な部分」としよう。
私の原体験は、この両方が常にぶつかっていたということだ。この現象が非常に興味深く、この仕事に就いた時に「対人恐怖」がすぐにテーマになったというわけである。
「恥と自己愛の精神分析」という本を1998年に書いた時、私はおかしな図を描いた。それは次のようなものだ。縦軸は自己顕示欲の強さ。横軸は恥に対する敏感さ。二つの傾向は独立変数だ、というわけである。


ところで臨床心理の世界に多少なりとも馴染みができると、実はこのテーマを扱った論文が結構あるのだ。一見パ●リに見えるものもある。例えば清水先生という方が、対人恐怖心性ー自己愛傾向2次元モデルと作成したという(心理学研究2007年)。