2013年9月5日木曜日

トラウマ記憶の科学(2)

ピットマン医師が使ったのは、何の変哲もない当たり前の薬、いわゆるβ(ベータ)ブロッカーのひとつだ。高血圧や頻脈にとてもよく用いられる薬である。(私も不整脈が出た時は飲んでいる。舐めると苦いのがにきずだが。)そのβブロッカー使用には、次のような理屈がある。
 私たちの脳は、感情的な高まりを伴うような体験はそれだけ強く覚えこむという性質がある。それはそうだろう。ドキドキしながらやったことは普通は簡単には忘れない。入試の結果をドキドキしながら待った時のことを忘れた人はあまりいないのではないか?初めての登校日でもいい。(こういう例の出し方が我ながら奥ゆかしいなあ。)その際は体にいわゆるストレスホルモンといわれるアドレナリン、ノルエピネフリンなどが血中に放出されている。すると直前にあった出来事をしっかり記憶するようにできている。脳の仕組みとは実にうまく出来ているのだ。しかしそれが起きすぎてしまったのがトラウマ記憶ということになる。するとトラウマが起きた直後にこれらのストレスホルモンを抑える薬であるβブロッカー、例えばインデラールを投与すると、それが「記憶の過剰固定」を抑えるというわけである。(例の、「告白するならつり橋の上で」というのとはちょっと違うので念のため。)
この実験はそれまで臨床家たちが持っていた常識、つまり過去のトラウマ記憶は消すことができないという考えを大きく変えることができる可能性を示唆したことになるのである。

ちなみに同様の発想に基づいた実験はいくつか1980年代に行われていたという。ある記憶を思い起こさせる。そのとき電気ショックを与える。するとその記憶が消し去られる、という実験が動物や人で確認されたが、実際にそれが成功することはまれで、その結果ほとんど省みられなかったのだ。