2012年9月10日月曜日

第3章 オキシトシンが問いかける「愛とは何か?」 (2)

オキシトシンと自閉症
 ここまでのオキシトシンについての記述は、かなり楽観的なものである。ある意味でオキシトシン礼賛、みんなオキシトシンを注射すればハッピーとなる、という印象を与えるだろう。この手のことに関しては異常にノリのいい米国では“Liquid Trust(信頼の液体)という香水風のスプレーも売っているそうだ。(ヒエ~日本のアマゾンでも売っている!!)
 
アマゾンでも売っているリキッドトラスト(オキシトシンスプレー)
しかし医学の分野では、そういうことはあまり起きないことになっている。100年以上も前に、フロイトはコカインで精神科的な問題がすべて解決すると夢想し、結果的に何人かの中毒患者を生んでしまった。同様に万能薬と考えられたものが多くの弊害を引き起こしたという例はいくらでもある。だからオキシトシンについても最近の医学研究がどのようになっているかについて、少し慎重に考えたい。
そこでまずは当然ながら、自閉症やアスペルガー障害である。前章で論じたミラーニューロンが大きな話題を呼ぶ一つの理由の一つは、それがアスペルガーつながりだからだ。といきなり言われてもピンと来ない方がいらっしゃるかもしれないが、アスペルガー障害は、現在の精神医学、心理学会の一つの大きな関心事である。なにしろ世の中にはアスペルガー傾向を持つ人はゴマンといえる。中には男性のかなりの部分はこの問題を抱えている、という極端なことを言う精神科医もいる(少なくとも私はそのひとりだ)。そして世の天才と言われている人々に明らかに効率にアスペルガー障害が存在する。
 言うまでもなく、アスペルガー障害とは、発達障害のひとつとして考えられ、人の心が理解できない、空気が読めないということが主たる問題と考えられ、その意味でミラーニューロンの機能不全が起きているのではないかといわれている。そして事実それを示すようなエビデンスもある程度は出されているようだから、根拠のないことではない。
しかしアスペルガー障害がもう一つ話題を呼んでいるのが、オキシトシンの役割である。そこでアスペルガーつながりで、この章ではオキシトシンについて述べたい。ちなみにオキシトシンは人間の脳の視床下部というところから分泌されるホルモンで、従来は主として子宮を収縮する役割が広く知られている物質である。
 ここでオキシトシンと自閉症(アスペルガー障害は広義の自閉症の一つのタイプと考えられる)に関して、今年(2012年)の427日に毎日新聞電子版にこんな記事が出ていた。この記事からはじめよう。
「金沢大の研究グループが26日、自閉症の症状改善に効果があるとされる脳内ホルモン「オキシトシン」が、自閉症の人に多い考え方や感じ方をする人に対し、効果があることを脳内の反応で確認したと発表した。同大附属病院の廣澤徹助教(脳情報病態学)は、「自閉症の人のうち、どんな性格の人に効果があるかが分かった。自閉症に起因する精神疾患などの治療にも役立てたい」と話している。オキシトシンは出産時に大量に分泌され、子宮収縮などに作用し、陣痛促進剤などに使われる。近年、他者を認識したり、愛着を感じるなどの心の働きに関連するとの研究報告も出ている。研究グループは、20〜46歳のいずれも男性の被験者20人に「喜び」「怒り」「無表情」「あいまいな表情」の4種の表情をした37人の顔写真を提示。全員にオキシトシンを鼻の中へ吹きかけ、投与の前後で写真の人物の表情を見た時の脳の反応を、脳神経の活動を示す、脳内の磁場の変動を計る脳磁計で調べた。(以下略)
 
朝日新聞315日電子版には、こんなニュースも出ていた。
「自閉症、カギの物質発見 米研究所、マウスで症状再現自の主な三つの症状「社会性の低下」「コミュニケーションの欠如」「強いこだわり」をすべて発症するマウスを、米サンフォード・バーナム医学研究所が作った。カギは神経の伝達にかかわる物質「ヘパラン硫酸」。自閉症に関係する物質や遺伝子は複数見つかっているが、すべての症状を併せ持つようなマウスができたのは珍しい。自閉症の原因解明につながると期待される。ヘパラン硫酸は、情報伝達をする脳の器官の発達を促す物質。研究所の入江史敏研究員らが遺伝子を操作して、この物質を作れなくしたマウスは、脳の構造は正常だが、仲間には無関心で、知らないマウスを見ると何もせずに逃げ出した。複数の穴があるのに、一つだけに執着していた。ヘパラン硫酸は、自閉症の原因と考えられている複数の分子とくっついて、その働きを制御していると考えられている。そのため、これがないと複数の症状が出るらしい。」
これらの研究が興味深いのは次の点である。自閉症やアスペルガー障害とは、脳の構造上の問題ではないという可能性がある。わかりやすい最近の言葉で言えば、配線 wiring の問題ではないという可能性がある。つまりこういうことだ。統合失調症の場合には、胎生時に脳の細胞の配列が生じる時点ですでに以上があったのではないか、思春期に脳細胞のシナプスの間の剪定が過剰に起きてしまったのではないか、などの仮説がある。つまり配線の異常が起きているのではないか、と言うことだ。当然発達障害系についても、同じような仮説が成り立つ。というより発達障害の場合にはこの配線異常はより明確に起きている可能性があると考えていい。なぜなら発達障害はごく幼少時からその異常が見られるし、基本的にはその障害は一生ついて回ると考えられるからだ。それに比べて統合失調症はある時期まではかなり正常に近い精神機能を維持する点で、配線には問題なく、むしろそこを流れる電流の問題ではないかと考える方がより理屈に合うのである。(ここでいきなり電流、という表現が出たが、これは配線異常との対比で考える。いわゆる神経伝達物質などは、この電流系の問題ということになる。つまりその配線を伝わる情報の流れ方の問題をこう言い表しているのである。)
ところが発達障害の代表であるアスペルガー障害の症状が、ある物質の投与により回復するとしたら、これはやはり配線異常ではなく、電流の異常、ということにもなるだろう。これは少し予想外のことなのだ。