2012年9月13日木曜日

第3章 オキシトシンが問いかける「愛とは何か?」―心理士への教訓 

 オキシトシンについての興味は尽きない。20年ほど前までは女性の出産にのみかかわっていると考えられていたこのホルモンに、調べれば調べるほどさまざまな機能が備わっていることがわかってきている。知れば知るほど、私たちの心はオキシトシンを一つの例とするさまざまな脳の仕組みに規定され、条件付けられていることがわかるのだ。
 精神的な問題に脳科学的、ないしは生理学的な背景を知るということは、結局は「その人自身の問題というよりは脳の異常や障害なのだ」という感覚を得ることの助けとなる。もちろんそれだけでは人間を見る視点としては十分ではない。「その人にもその問題をどう扱い、どう対処するかについての責任がある」という視点も同時に必要だ。しかし問題の原因を脳に求めるという視点は、脳科学を知ってこそ、初めて可能である。そしてそのような視点を持つことが、おそらく心理士の職能の一つであるべきだと考える。少なくとも一般の人々に脳科学の勉強に使う時間も余裕もあまり期待できないからだ。
 オキシトシンに関連付けてさらにこの問題を論じよう。世の中には他人に対する共感性が薄く、自分のことしか考えていないような人に出会うことがある。心理士が働く臨床の場面では、患者自身だけでなく、そのパートナーや家族にもその種の人が多いという印象を持つだろう。たとえば私たちは時々、身勝手で浮気性で家庭を顧みない夫に苦しめられる女性の患者によく出会う。そのような時に本章で紹介したハタネズミの例を思い出すと、その夫をよりよく理解することが出来るのではないだろうか。つまりその夫は「サンガク(ハタネズミ)的」ということになる。

 一夫多妻に徹するサンガクハタネズミのように、いかにも「オキシトシン受容体不足」をうかがわせる人に出会うことが少なくない。彼らは他者と心を通わせて穏やかで長続きのする関係を持つ事が苦手で、次々と別の相手と表面的な関係を結んでは壊して行く。時々そのような人との関係に巻き込まれると私たちは「困った人だなあ。」とか「なんてひどい人なんだろう。」などと感情的な反応をしてしまいやすいのだが、「そうか、この人はサンガク(ハタネズミ)タイプなんだ。」と思うことで少し吹っ切れることもあるし、その人に対する余計な期待を持つことをやめるかもしれない。
ちなみに女性は男性を自分のパートナーの候補者として眺める時、その一つの判断基準として、「この人はサンガクタイプか、プレーリータイプか」を加えるといいのではないだろうか。前者は浮気性で後者は家庭思い、俗に「一穴主義」(改めて考えるとブキミな言葉である)である。
 ところで読者の方の中には、この分類はバロン=コーエンのEタイプかSタイプかという議論に重なるという印象を持つかもしれない。そして実際この二つの分類はある程度近い関係にある。
参考までに言えば、サイモン・バロン=コーエンはその名著「共感する女脳、システム化する男脳」で、Ssystemizing 的な脳と、E(empathizing) 的な脳の働きの違いという考えを提唱している。前者は男性に特徴的で、物事の分類や分析を行う能力に関係し、後者は女性の脳に特徴的で、他人に対する共感などに力を発揮する。もちろん両者を排他的なものをするのは極端で、大部分の人間は両方を少しずつ持っている。モノにも興味を示し、人とも適度に交わるというのがむしろ普通だろう。そして両方に優れた能力を示す人もいる。このS的かE的かという分類をもう少しわかりやすく、「オタク的か、人たらし的か」と言い換えることにしよう。(ひょっとして私は「人たらし」という言葉をちゃんと理解していないかもしれないが、今のところこういう言い方をしておく。)
「浮気性か、家庭思いか」、という分類と「オタク系か、人たらしか」とは決して同じとはいえないが、サンガク的≒アスペルガー的≒オタク的、という関連から見たらつながっているともいえるのである。