2025年11月24日月曜日

特別寄稿 7

 先ずは私なりにWDの起源と発展について簡単にまとめたい。WDは、英国のタビストック・クリニックにおける乳幼児観察(Infant Observation)が源流であり、主として精神分析的視点に立った対人援助職の教育訓練のために開発された。この創始者はイギリスの分析家エスタービックであり、彼女は乳幼児観察と個人精神分析を統合したとされる。ちなみにこの乳幼児観察については英国に留学した先生方が日本に伝えているので聞いてはいたが、その詳しい内容を私は知らなかった。 WDは、観察者が自らの体験(感情、身体感覚、反応)を通して無意識的な対人関係の力動を見出すことを目的とする。 具体的なプロセスとしては、参加者が臨床現場(保育所、病院、学校など)で観察したことを記録し、それをグループで読み合わせ、そのあとディスカッションを行うが、それが「自由連想的』であるところがいかにも精神分析的である。そしてその際指導者(facilitator)はあくまで分析的な視点での促し手であり、指導・教示は最小限に抑えられるということだ。 そこでは「観察者が感じたこと」「関係性の中で何が起きているか」に焦点が置かれ、背景にに対象関係論(オグデン、ビオン、ビックなど)や投影同一視、コンテイニングなどの概念があるとされる。そして「何が起きていたか?」よりも「なぜ私はそれをそう感じたのか?」に注意が向けられる点が、教育やスーパービジョンとは一線を画す。 ところでこの文章、Chat君に手伝ってもらって書いているが、最後の部分、つまり「何が起きていたか?よりも「なぜ私はそれをそう感じたのか?に注意が向けられる点が、教育やスーパービジョンとは一線を画す」という部分。「何が起きたのか」を事実として検討する、という意味ではない(つまり真理を追究するのではない)ということなのだろうか。