フロイトにとっての脳というハードウェア
ちなみに100年以上前に精神分析を考案したフロイトの出発点は、ハードウェアとしての脳への関心であったことは興味深い。神経系が微細な神経細胞とそれを結ぶ神経線維により構成されていることが分かったのは1800年代の終わりであったが、フロイトはそれを初めて顕微鏡下に見出した一人であった。現実の脳の構造の一端を見出したフロイトは、この時おそらく大興奮しただろう。
フロイトはそれ以前から精神の働きにある種の量的な性質がある事を見出していた。そこには彼の師である19世紀のドイツの大生理学者ヘルマン・ヘルムホルツの自由エネルギーに関する理論が背景にあった。それによると生体はその精神的なエネルギーを最小限にすることを常に目指すことになるが、それはフロイトのリビドー論の発想の原点ともいえる考え方であった。
脳の構造の一端としての神経細胞を見出したフロイトは、ある大胆な仮説を設け、そこから心の理論を導き出そうとした。その仮説の一つが透過性のニューロン(φ)と非透過性で抵抗を持つニューロン(ψ)との区別である。彼は神経細胞間を何かのエネルギーが伝達されると考え、そのエネルギーを通過させるだけの神経細胞と、そこでそれを溜めたり通過を阻止したりする神経細胞に違いがあると考えた。そうすることでエネルギーの量に細胞間での差が生まれ、満足体験や不快体験、ないしは記憶などの精神現象が起きると考えたのだ。
フロイトはこれらの仮説をもとに熱に浮かされたように短期間で原稿を書き上げ、フリースに送ったが、それが後に「科学的心理学草稿」(1895)と呼ばれるものであった。しかし結局フロイトはそこから心の理論を構築することを諦めざるを得なかった。それはハードウェアとしての脳の在り方として得られる情報があまりに限られていたからである。そしてその後フロイトは脳の研究を離れて大胆な心の理論、すなわち精神分析理論を構築したのである。
このフロイトの転身について、ノルトフという学者は次のように述べる。「フロイトの時代の神経科学では、脳を外側から外部からしか脳を記述できなかったためであり、彼はその代わりに精神を内部から解剖することを試みたのだ」(Holmes,p.114)
ただしフロイトが「科学心理学草稿」で試みようとして十分追求しきれなかったモデルは、実は現代において引き継がれている。それがイギリスの研究者カール・フリストンにより提唱された「自由エネルギー原理」である。そしてその意味ではフロイトが「科学的心理学草稿」で唱えた理論は極めて先駆的であったと言えるのだ(Holmes, 2020)。このように科学の歴史では一度は廃れたように思える理論が後になって息を吹き返すという現象がしばしばみられるのである。