2024年1月13日土曜日

🔵トラウマと内臓 2

 ポリヴェーガル理論とトラウマ

Porges の唱えたポリヴェーガル理論は、自律神経系の詳細な生理学的研究に基礎を置く極めて包括的な議論であり、上述の心身相関に関する新たな理論的基盤を提供する。自律神経は全身に分布し、血管、汗腺、唾液腺、内臓器、一部の感覚器官を支配する。通常は交感神経系と副交感(迷走)神経系との間で微妙なバランスが保たれているが、ストレスやトラウマなどでこのバランスが崩れた際に、様々な身体症状が表れると考えられる。その意味で自律神経に関する議論はその全体がトラウマ理論としてとらえることも出来よう。
 Porges の説を概観するならば、系統発達的には神経制御のシステムは三つのステージを経ているという。第一段階は無髄神経系による内臓迷走神経で、これは消化や排泄を司るとともに、危機が迫れば体の機能をシャットダウンしてしまうという役割を担う。これが背側迷走神経複合体(dorsal vagal comlex,DVC)の機能である。そして第二の段階はいわゆる闘争・逃避反応に深くかかわる交感神経系である。

 Porgesの理論の独創性は、哺乳類で発達を遂げた第三の段階の有髄迷走神経である腹側迷走神経(ventral vagal comlex,VVC)についての記述にあったことはすでに述べた。VVCは環境との関係を保ったり絶ったりする際に心臓の拍出量を迅速に統御するだけでなく、顔面の表情や発話による社会的なかかわりを司る頭蓋神経と深く結びついている。

  私たちは通常の生活の中では、概ね平静にふるまうことが出来るが、それはストレスが許容範囲内に収まっているからだ。そしてその際はVVCを介して心を落ち着かせ和ませてくれる他者の存在などの助けにより、呼吸や心拍数が静まる。ところがそれ以上の刺激になると、上述の交感神経系を媒介とする闘争-逃避反応やDVCによる凍りつきなどが生じるのである。このように Porges の論じたVVCは、私たちがトラウマに対する反応を回避する際にも自律神経系が重要な働きを行っているという点を示したのである。

 

腹側迷走神経系が「発見」された経緯

 ところでこれほど重要な役割を果たすVVCへの注目が、なぜPorges の発見を待たなくてはならなかったのだろうか? Porges は精神生理学的な研究を進める中で、彼の言う「迷走神経パラドックス」に早くから気づいていたという。このパラドックスとは、迷走神経の心臓に与える影響が、一方では呼吸性不整脈というそれ自身は生理的で健全な側面を、他方では危険な徐脈をもたらすという二つの矛盾した側面を持っているという事実であった。そして迷走神経の心臓への影響への研究が進む中で、彼はそれを延髄の迷走神経背側運動核に発する植物的な迷走神経(爬虫類に支配的)と、延髄の疑核に発する機敏な迷走神経(すなわちVVC、哺乳類において支配的)とに仕分けすることを提案した。これがその後のポリヴェーガル理論へと発展していったのである(津田, 2019)。
Porges はVVCを発生初期の鰓弓由来の神経発達のプロセスから掘り起こし、それが頭蓋神経の三叉神経、舌咽神経、顔面神経、迷走神経、副神経の起始核とも深く連携することを指摘した。そしてそれが横隔膜上の器官、咽頭、喉頭、食道、心臓、顔面などを支配し、これらはいずれも情動の表現に置いて極めて重要となる点を指摘したのである。このVVCはいわば高覚醒の状態をつかさどる交感神経系と、低覚醒状態に関与したDVCの間に存在し、両者の間のバランスを取る役目を持つことが見いだされた。この理論の意義をいち早く見出して臨床に応用を試みたのは、トラウマ治療の牽引者であるvan der Kolk, Pat Ogden, Peter Lavineらであったといわれる。