2023年8月2日水曜日

連載エッセイ 7の2

 この左右脳の関りをどのようにうまく処理しているのかはわからない。しかし人は普通、左右脳の言い分の真ん中で立ち往生してしまうわけではない。それは大概どちらか強い方の声に従った結果かもしれないし、そんなことでいちいち迷っていられないので心の中で適当にサイコロを振った結果かもしれない。ただそれに至る左右脳の葛藤は私たちが日常的に数多く体験していることのはずだ。そこではおそらく二人の自分が戦うということを意識することなく、妥協をして自分の中でその矛盾を収めることになる。

ではこの右脳の働きと左脳の働きは、同時並行なのか?あるいはタイムシェアリングのようなことが起きているのか?(後者については一度棄却したが、とりあえず一度ここで浮上させておこう)。そのヒントになるのが、いわゆる分離脳の実験である。もしこの脳梁が切断され、左右の脳が別れた場合、そこで不思議なことが起きることが知られている。例えば一方の脳に発生した癲癇の波が他方の脳に広がらないようにするために、この脳梁が切断されるということがある。するとなんと左の脳 (右半身の体の活動に表される)と右の脳 (左半身の体の動きにより表される) がバラバラに機能するということが起きる。たとえば右手でボタンをかけようとしても、左手ではそれを外そうとするということが起きる。これはまるで二人の別々の人間が体の中に存在しているかのような事態である。そしてこのことは、実は私たちは自然な状態では二人の心を持っているものの、それらが脳梁により連絡を取り合っているために、両者の間での合意や妥協形成がなされ、結果として両者が一つになっているという錯覚を抱いている可能性があるのだ。そのような右脳と左脳は互いに葛藤関係になる可能性があるが、それは私たちが自分の心に起きていることを少し反省してみることである程度は自覚的になれるかもしれない。
 ところで脳梁が脳梗塞や脳出血などで破壊されても、やはり左右脳の情報の交換が出来なくなって離断脳の状態になり、脳梁を切断された人と同様に、左右の脳はいわばバラバラに動き出す可能性がある。それがいわゆる「他人の手症候群 alien hand syndrome」と呼ばれる状態である。その場合には一つの手が自分の意志に逆らって勝手に動き出すという症状を示し、それは一般的には拮抗失行と呼ばれ、右手が随意的、意図的な行動を行おうとすると、左手がそれに関係ない、あるいは拮抗する動きを見せる。

この実験が示すことは極めて興味深い。まずは片方の脳だけで心を持つことが出来るということだ。左右を切り離した状態では、右脳と左脳は別々の心を有し、しかも互いを知らない。そしてそれらは同時進行できる。このことから最も自然に類推できることは、左右脳は、本来それぞれが同時進行しており、かつかつコミュニケーションを取っているということだ。するとたまたま脳梁が機能的に切断された際には、両者がバラバラに機能し、また連絡が回復した場合は普通の状態に戻るということが考えられる。

脳がデュアルコア的であるとはそのような意味でである。