2022年12月8日木曜日

発達障害とPD 1

 こちらの原稿にも早く取り掛からなくては。

PDASDも結局はetiology は明確でなく、遺伝的要因と環境因の組み合わせということになる。ただASDは発達的神経学的障害であるのに対して環境因の関与がより多く考えられる。ただしPDについてもディメンショナルモデルに従うならば、かなり生来のものを含むことになり、よく分からなくなってくる。

発達障害(DD)とパーソナリティ障害(パーソナリティ症、PD)の鑑別診断のポイントは何か? 私が与えられたこのテーマは、最近しばしば話題となるこのテーマでもあるが、ある意味では答えに窮する問いである。しかし診断がある極めて明確な定義を持ったゆるぎない体系であるという考えを捨てるなら、意外に簡単に論じることが出来るかもしれない。

そもそもPDは「青年期又は成人早期に始まり、長期にわたり変わることなく、苦痛又は障害を引き起こす内的体験及び行動の持続的様式であるDSM-5)。すなわちそれは青年期以降に定まっていくものということになる。DSMでは伝統的に猜疑性などを特徴とするA群、対人関係上の特徴を顕著に示すB群、そして不安や恐怖を特徴とするC 群に分類されていた。それらは多くは環境により決まるというのがどこか前提となっていた。しかしDSM5における代替案として、そしてICD-11に置いて正式に採用されたディメンショナルモデルは、これとは全く別物という印象である。健常者を対象として調査されたいくつかの因子(例えば5因子モデル)に基づき、それを病理的な表れの方向からとらえたものであり、多分に生得的、遺伝的なニュアンスを含む。

他方での発達障害は、常識的には生下時にはすでに備わっているものと考えられてたが、その深刻さの度合いや社会適応については恐らく成育環境が大きく関係することになろう。その意味では実はDDPDはかなりの共通項を持ったものと考えざるを得ない。両者は似ているのだ。

個人的なことを言えば、私はDSM-Ⅲ世代であり、そこで明確に記載されていたPDの中でも、例えばスキゾイドPDなどに興味を持った。スキゾイドメカニズムという概念は精神分析で重要な位置を占め、それとボーダーラインとの区別などが重要な論点となったのである。そしてDSMのスキゾイドPDはそれに比べて「そもそも人に関心を持たない」、ドクタースポックのような、ロボット的存在として映り、両方のスキゾイドの顕著な概念上の差に興味を惹かれるとともに、DSMのいう「そもそも人に興味を持たない」という人などいるのだろうか?実際にはほとんど出会ったことがないな、などと疑問に思っていた。ところが発達障害が盛んに論じられるようになり、気が付いたらスキゾイドパーソナリティという診断を付けなくなってから何年も経っていることに気が付いた。ASD傾向を持つ人々について考えているうちにスキゾイドの問題はスルーしてしまっていたのである。「それにしても両者は似てないか?」「いやいや、DDPDを混同するなんてとんでもないと言われてしまいそうだ」などと考え、はやく誰かがしっかり説明してくれるのだろうと思っているうちに、この点について歯切れのよい解説をしてくれる精神科医にまだ出会っていないという状態なのだ。