N間 このご質問のような話は、私もよく聞く気がします。ここで答えられないから日記に書いてくる、というような感じですね。秘書さんは「自分はわからない」と言いながらも、その日記を持ってきて一緒に見るわけだから、そのパーツ、あっパーツって言っちゃいますけど、人格同士の交流がそこで生まれるということにもなるので、こういう方法は非常にありだな、というのが私の考えです。ただこのご質問の背後には、本当にこれでいいのか、本当はこの話に出てきている人との会話がその場でできた方がいいのではないかという意味合いもあるのかなと思うんですけど。やっぱり治療の場面では何が出てくるか分からないですし、主人格と言えばいいのかな、そういう人はこの場面ではちょっと隠れてるんですよね。そして違う場面では別の人がとりあえずは出てくるという形を取っていて、まだちょっと色々不安の強い方だと思うのでそこはゆっくりその人と会っていかれたらいいのかなという気がしました。
岡野 ここで先生方に少しご質問ですが、黒幕さんとか暴力的な人格さんがいらっしゃる方がいますが、患者さんから「私にはどうして黒幕さんがいるんですか?」と尋ねられたとしたら、どのようにお答えになりますか。
N間 そうですね。ケースバイケースですが、やはり「何か凄く腹が立つことがあるのかもしれませんね」って言うかもしれないですね。それはパーツと見なしてるということですね。「そういうことないでしょうか?」という聞き方で、つまり「そうだ」と決めつけずに、「どうでしょうか?」という形で質問をする形で返すという…。
岡野 あなたの中に暴力的な人がているという言い方ですね。
N間 そうですね。最後まで否定された方もおられますけどね。
岡野 S山先生、ここで少し意見分かれるんですよね。
S山 そういったちょっと迫害的な攻撃的な人格ですよね。それが出てきた時にどうするかですが、私は「その人はどうして何時頃から出てきたのかな」という話に行くと思います。つまり役割を聞くわけです。出てきた意味が何かあると思うんですね。そうすると、もともとは本人を守るためだとか、本人に対してもしっかりするようにとか、あるいは大体嫌なことがあると自分に押し付けられるとかですね。そういう物語が出てくることがあるので、そういう話に持って行きます。だからその人格の中にある攻撃性っていうのはまあちょっと後回しになるでしょうね。それはあとで繋がることになるかもしれませんが、自分の中に自分自身に対する忸怩たる思いがあるとかね。だから黒幕人格とか迫害的人格のその存在意味や役割っていうものを知りたいですね。
岡野 虐待された方が、虐待している夢を見ることがあるんです。するとそれは虐待者がその人の中に残っていてそれが活動しているという可能性があると思いますが、この点でだいたいS山先生と揉めるんですよね。
S山 いや、それはあるんですよ。外から取り入れるという場合ですよね。攻撃性を持った人と同じコピーみたいな人が出るのは、普通の文化の中では当たり前の事なのです。攻撃的な人に接したら自分が自分を守るために攻撃的存在になるって言うのはよくあることで、別に解離じゃなくったって出るんですね。
岡野 うーんなるほど、ちょっと微妙な差がありますね(笑い)。もう一つご質問です。解離性の人格が起こした行動を主人格が何も知らないという場合の対応をどうしたらいいのか、という事です。
N間 色々な扱い方があると思うのですが、自分はどうしてるか、ですよね。あまりこういう手法で、という風に考えたことはないのですけれども、どんな時に記憶が飛んだのですか、とかそういう事は聞きますかね。何時頃から何時頃まで抜けてますかとか、その時何をしてますか、とかいうようなことを聞きながら、一緒に確認していくようなことをしますでしょうかね。という風なことは思いますが、その実害の程度によっては流して行きますし、すごく大変なら対策は一緒に考えるんですけれど、まあとにかく先ほどの柴山先生と同じかもしれません。そういう交代を知らないで出てきてる人格さんと、何が起きているのかを一緒に探るみたいなことをしていくようなアプローチだと思いますね。
S山 僕の患者さんで、お金がどんどん通帳から勝手におろされて困っていた人がいましたけどね。やりようがないこともありますね。どうやって本人と繋げるのか。今のこの時点で繋げる必要があるのか、どうだろうと困ることはありますが、離れてるのもどこかいいところがあるのかな、と考えたりもします。とにかく繋げないといけないっていう強迫は私の中にはあまり起こらないですね。だってしょうがないもの、全く忘れてるんだから。だから二人で困ったねーと納得しちゃうっていう感じでしょうかね。