2021年6月15日火曜日

オンラインと精神療法 6

 3.OSのメリットとデメリット

ここで私の実体験から見たOSの利点と問題点について考えてみたい。利点としては、言うまでもないことであるが、セッションに通うための時間だけでなく、交通費も節約されることである。これは治療のために遠隔地から通うクライエントにとってはこの上ない利点といえる。これにより国内の異なる地方、あるいは地球上の異なる地域に在住している治療者と患者の間でのセッションが可能となる。この利点は地方在住のアナリストやアナリザンドにとっては計り知れないことになる。

フロイトの時代にはおそらくセッションに通うクライエントは同じ界隈に居住しているという人を除いては、遠隔地から治療者の近くに長期間滞在するという形が取られていたと想像する。そこでは精神分析のセッションを毎日持つということは、そのために一定期間は分析を中心とした生活を送るという前提があったのであろう。そしてその間は仕事を休むという形にせざるを得ないクライエントも少なくなかったのではないか。ということは精神分析のクライエントは、働かずにその上治療費を賄うことが出来るような裕福な人たちであったという事になる。つまり精神分析を受けることができるのは一部の特権的な人々に限られていたということになる。

このことはとても大事な点であり、現在週に5回とか6回のセッションを行うとしたら、セラピストの側もクライエントの側も、かなり条件がそろっていなくてはならないことになる。そのうちの一つはクライエントの側に潤沢な時間的な余裕があることである。もちろん治療費を払えるだけの経済的な余裕があることも条件となるが、それはセラピストの側が低額で行うということでその負担をかぶるという形になる。結果的にトレーニングケースの一定の部分は、仕事がなく経済的にも豊かとはいえないクライエントが占めることになる。そしてそのうちの一部は抑うつやパーソナリティの問題などで仕事を得ることができない、すなわち機能レベルが決して高くないクライエントが精神分析の対象に選ばれることにもなる。しかしそれはあまりにもフロイトが行っていた精神分析の実践と異なることになる。
  ちなみに私の米国の体験では、メニンガー・クリニックに分析に通う場合には、車で10分程度の移動時間をその前後に設ければよかったので、フロイトの時代の分析と同じような条件が成立していたと考える。メニンガーに勤務して同じキャンパス内の分析家のもとに通うという条件は分析治療を受ける際には、セッションに通うための時間は限りなくゼロなので極めて理想的だと感じたと同時に、同様の機会は交通事情がより困難な都会や、日本においては得難いであろうと想像していた。そして実際に帰国してからほかの候補生たちの苦労話、たとえば他県にまで長時間かけて教育分析を受けに通った方々の話を聞くことで自分の場合はなんと恵まれていたことかと思ったものである。

 そして少なくともOSにより移動時間や交通費の問題が大幅に解決することは、精神分析の対象となるクライエントの機能レベルをより高めるということにもつながるだろう。仕事前の一時間をセッションに充て、あとは仕事も含めて通常の社会生活を送ることのできる人々が分析の対象となる可能性が高まるとしたら、OSを用いることのメリットは、単なる時間的な問題には限らないということになる。

さてOSの第2のメリットは、対面場面に特有ないくつかの問題を解決してくれることである。ギャバードはその「長期力動的精神療法」のテキストの中で、セッション中にノートをとることがラポールの形成の妨げになり、またセラピストが時々時計に目をやるのを気が付くことでクライエントが傷つく可能性があるために、面接室での時計の位置に配慮が必要であると書いてある。これらはことごとく対面で行うセッションを行うことに伴う懸念である。これらの問題はオンラインの設定にすることで、完全に解消しないまでもかなり軽減するであろう。

もう一つOSのメリットは、クライエントの「帰宅問題」を解消してくれるということである。これは要するに患者がセッションの後解離を起こしたり、脱力症状を呈したり、あるいはクライエントの希死念慮が高まるなどして安全な帰宅が保証できないという場合に生じる問題を解決してくれるということだ。クライエントがセッションの後に何らかの形で動けなくなった場合、セラピストは患者の家族を呼び寄せたり、新たな救護場所を必要としたり、など様々な問題が生じ、その日の外来のスケジュールが大幅にくるってしまうこともある。オンライン診療のメリットはこれらの問題を一挙に解決してくれるのである。

次にOSのデメリットについても考えたい。OSは非常に便利なものだが、同時にクライエントの側にある種の設定を必要とする。セラピストは多くの場合通常のオフィスを用いればいいが、クライエントの側が自宅の環境にプライベートな空間を保証することが難しい場合がある。しばしばクライエントは自宅の中で防音がしっかりして声が家族に漏れないような場所を確保することに困難さを有する。時にはセッション中に部屋に押し入ってくる幼い子供の面倒を見たり、餌を欲しがって飼い主を呼ぶ犬の世話のために中座したりしなければならず、それでなくても家人に聞かれているのではないかとの懸念で内緒声になったりする。治療を受けていること自体を家族に伏せているようなケースでは、オンラインの治療は非常に不都合であったり、事実上不可能であったりする。さらに細かいことにはなるが、機材の設定がうまくいかず、相手の声が聞きづらかったり、途中で回線が途切れてセッションがいきなり中断を余儀なくされるなどの問題は頻繁に起きる。

もちろんこのプライバシーの問題はセラピストにもある程度は該当する。セラピスト側が仕事場のオフィスからではなく、自宅からOSを行う場合は、プライバシーの問題はしばしばクライエント以上に重大な問題となる。クライエントの側は家族が効いている可能性についてそれほど問題にしない場合もありうる。しかしセラピストが面接の内容を外に漏らすことは決して職業上許されることではないからだ。

ただしこの文脈では実はこのコロナ禍ではOSのメリットがもう一つ加算されることになる。通常の診療場面ではドアをわずかに開けて換気することが時には必要となるが、OSにおいては診察室には治療者が一人なので、部屋を閉め切り、OSを行うことが可能になるのである。

ここでOSのデメリットとして論じた点に関しては、私たちがオンライン治療を行うことを余儀なくされた一年以上前に比べれば、はるかに多くの経験を持ち、多くの経験値を積むことによりかなりスムーズにそれを行えるようになってきていると思う。私の偽らざる感想を言えば、私たちがこのような文明の利器を手に入れて、四半世紀前までだったら考えもしなかったような遠隔地の間でのセッションが可能になったことに、はっきり言って実感がないほどである。たまたまこのシステムがフロイトの時代に確立したなら、新し物好きのフロイトがZOOMによるセッションを取り入れてOSを取り入れたことはほぼ間違いないと思われる。婚約者マルタに1000通を超える書簡を送り、フェレンチとは数百通の手紙を交わしたフロイトが今の世にいたら、ラインやメールを死ぬほど活用したであろうし、ブタペストのフリースとは毎日のようにズームでやり取りしたであろうことはほぼ間違いがないであろう。ただそれにより交流の進展も加速し、フリースやフェレンチとの関係も実際よりずっと早く進展して、収束してしまったかもしれないと想像する。