2021年3月7日日曜日

CPTSDのエッセイ 5

  ところでそうこうしているうちに原田誠一先生編著の「複雑性PTSDの臨床」が送られてきた。その一つの章を担当しているので献本を戴いたというわけだが、これは学術誌「精神療法」の特集の拡大版としてつくられたのである。原田誠一先生の情熱が感じられる本だ。(実は原田先生は研修医時代に一緒で、それこそお互いに20歳代半ばの頃に知り合っている。二人で碁を打っている写真もある。あの頃はお互いに若かった…。)

 これを読んで好き勝手なことを書いていったらエッセイが出来上がるだろう、と思って読んでいるのだが、興味深いのは杉山登志郎先生の文章「複雑性PTSDへの治療パッケージ」であった。先生は生半可な覚悟でトラウマを扱う事の危険について戒めていらっしゃる。トラウマを扱うこととは、ある意味ではいかに扱わないかという事でもあるという事を深く考えさせられる一文である。そして最後の「特論」と称して、下坂幸三先生、成田善弘先生、西園昌久先生の古典的ともいえる三つのトラウマ関連論文が紹介され、再考察が加えられている。

杉山先生はかなり刺激的な表現を用いている。「精神療法の基本は共感と傾聴だが、(中略)トラウマを中核に持つクライエントの場合、この原則に沿った精神療法を行うと悪化が生じる。」

これを読んで途方に暮れる人もかなりいるのではないか。それとか米国から入ってきたトラウマに焦点化された認知行動療法(いわゆるTF-CBT)や暴露療法なども、それでは「トラウマ処理が大精神療法になってしまう」という。「圧倒的な対人不振のさなかにあるCPTSDのクライエントに、二週間に一度、8回とか16回とかきちんと外来に来てもらうことがいかに困難な事か、トラウマ臨床を経験しているものであれば誰しも了解できるのではないか」。そして「簡易型のトラウマ処理」を提唱する。そして講習によるライセンス性なしで行えるべきだという。そして「なるべく短時間で、話をきちんと聞かないことが逆に治療的である」!!!ここもかなり刺激的だ。

さて杉山先生がそのあと紹介しているDIDの自我状態療法は、私自身が実行しているものに近くて少し驚いた。