2021年1月12日火曜日

続・死生論 3

アメリカで起きていることが。凄すぎる……。新型コロナより大きなことが・…。


実は私はある本(「精神分析新時代」、岩崎学術出版社、2018年)に「死と精神分析」という章を設け、以下のようなことを書いている。

まずは枕に使ったフロイトの文章。

私が楽観主義者であるということは、ありえないことです。(しかし私は悲観主義者でもありません。)悲観主義者と違うところは、悪とか、馬鹿げたこととか、無意味なこととかに対しても心の準備が出来ているという点です。なぜなら、私はこれらのものを最初から、この世の構成要素の中に数えいれているからです。断念の術さえ心得れば、人生も結構楽しいものです。(下線は岡野による)』(フロイト:ルー・アンドレアス・サロメ宛書簡、1919年7月30日付)

精神分析の分野では、米国の分析家 Irwin Hoffman が、この死生観の問題について他に類を見ないほどに透徹した議論を展開している。彼の死生学はその著書「精神分析過程における儀式と自発性 Ritual and Spontaneity(Hoffman, 1998)の第2章で主として論じられている。Hoffman はこの章のはじめに、フロイトが死について論じた個所について、その論理的な矛盾点を指摘している。フロイトは1915年の「戦争と死に関する時評」(3)で「無意識は不死を信じている」と述べているのだ。なぜなら死は決して人が想像できるものではないからだというのがその理由である。しかし「同時に死すべき運命は人の自己愛にとって最大の傷つきともなる」という主張も行なっている (ナルシシズム入門(4))。人が

想像することが出来ない死を、しかし自己愛に対する最大の傷つきと考えるのはなぜか? ここがフロイトの議論の中で曖昧な点である、と Hoffman は指摘しる。そして結局彼が主張するのは、フロイトの主張の逆こそが真なのであり、無意識に追いやられるのは、死すべき運命の自覚であるというのだ。つまり人は「自分はいずれ死ぬのだ」という考えこそを抑圧しながら生きているというわけだ。こちらのほうが常識的に考えても納得のいくものだと私も考えるが、精神分析の世界では死に関するフロイトの矛盾した主張が延々と繰り返され、場合によっては死への不安はその他の無意識的な概念を覆い隠していると主張されることさえあるのだ。

 さてそこから展開される Hoffman 自身の死生学は、Jean-Paul Sartre Maurice Merleanu-Ponti などの実存哲学を引きつつ、かなりの深まりを見せている。簡単に言えば抽象的な思考というのは、すでに死の要素をはらんでいるというのだ。抽象概念は無限という概念を前提とし、それは同時に死の意味を理解することでもあるというのがその理由だが、ここでは詳述は避ける。

それから Hoffman はフロイトにもどり、彼の1916年の「無常ということ」(5)という論文を取り上げている。そしてこの論文は、死についてのフロイトの考えが、実はある重要な地点にまで到達していたとしている。この「無常ということ」の英語版の原題は、“On Transience”であり、つまりは「移ろいやすさについて」というような意味である。この論文でフロイトはこんなことを言っている。「移ろいやすさの価値は、時間の中で希少であることの価値である」。そして美しいものは、それが消えていくことで、「喪の前触れ」を感じさせ、そうすることでその美しさを増すと主張し、これが詩人や芸術家の美に関する考え方と異なる点であることを強調している。フロイトは詩人や芸術家たちは、美に永遠の価値を付与しようとするというのだが、それはその通りなのだろう。詩にしても絵画にしても、それが時間とともに価値を失うものとしては創られないだろうからである。いかに永遠の美をそこに凝縮するかを彼らは常に考えているのだ。そしてフロイトの論じる美とは、それとは異なるものとして論じられているのである。

ここで少し考えて見よう。たとえば花の美しさはどうだろうか? やがて枯れてしまうから、私たちは美しく感じるのだろうか? 美しいと思った花が、実は「決して枯れない花」(たとえば精巧にできた造花)だと知った時の私たちの失望はどこからくるのだろうか? フロイトの言うように、花はやがて枯れると思うから美しいのではないだろうか?しかし考えてみれば、芸術とは、いかに美しい造花を作ることとは言えないだろうか? 美しい花を描いた絵は、結局は一種の造花ではないだろうか? しかしこのようなことを言ったら、たちまち芸術家から反発を受けるだろうから、これはあくまでも私の思い付きということにしておきたい。

ともかくもフロイトはこのようなすぐれた考察を残しながら、結局は死すべき運命への気づきを彼の精神分析理論の体系の中に組み込まなかったようである。その意味で彼の理

論は反・実存主義であったと Hoffman は言うのだ。そこで彼を通してみる死生観とは、私なりにまとめると次のようなものとなる。

「死すべき運命は、常に失望や不安と対になりながらも、現在の生の価値を高める形で昇華されるべきものである。死は確かに悲劇であるが、外傷ではない。外傷は私たちを脆弱にし、ストレスに対する耐性を損なう。しかし悲劇は私たちが将来到達するであろうと自らが想像する精神の発達段階を、その一歩先まで推し進めてくれるのだ。」

いかに死の内面化(存在論的な二重意識の獲得)を目指すのか

最後に死の内面化をどのように目指すかについて考えたいと思う。私はそのためには毎日の生活の中で、常に以下に述べるような努力をする以外にないと考える。私たちの生は、とらわれの連続である。生きているということは雨露を凌ぎ、栄養を摂取し、冬は暖を取り夏は涼を求めるという営みの連続だが、これらは全て生への執着である。そこで過去の修行者は様々な形で日常的に死の内面化を行う努力をした。ある人は只管打座に明け暮れ、ある人は経文を唱え、ある人はお伊勢参りをし、ある人は托鉢僧や修行僧となったのだ。ただし私たちは療法家であり、人と関わるのを生業としている。そこで私が考えるのは、やはり人との関わりとの中で日々自らを確かめることができるような営みである。
 特に私が考えるのは、常に我欲を捨て、人に道を譲るという生き方である。ただしその

障碍となるのが意外にも、周囲が自分に道を譲らせてくれないことが多いという事情なのだ。というのも我が国では年長者や肩書きを持った人間は、その人間性とは無関係に持ち上げられ、甘やかされるという傾向があるからだ。しかし歴史的な人物の中には、本当に「この人は我欲を捨て、徹底して他人に謙ることで死を内面化することを実践していたのではないか?」と思わせるような例がある。その一つの例が、作家により描かれた幕末のある傑人の姿である。(以下、西郷隆盛の人生についての記述に続く)。