2020年10月9日金曜日

治療論 推敲の推敲 2

  その後最近になるまで解離が精神分析の文献に表れることは少なかったが、過去40年間は10年ごとにその数が倍増していることは冒頭に述べたとおりである。ただし精神分析外では解離は論じられ続けてきた。

 van der Hart (2009) は、精神医学における解離の理解を二つに分類した。それらは(1)統合された機能が、ストレスに直面して失われた状態。(2)同時進行の個別の、分割された心的構造、パーソナリティないしは意識の流れである。そして精神分析においては通常は(2)はおおむねその対象外であったとする。その傾向が過去40年においても見られるのかについては検討の余地がある。筆者の見解では、実際は(1)を主流としてはいるものの、(2)の考え方が複雑に入り混じっているのが実情ではないかと考える。そして歴史をさかのぼれば、Freud の同時代人にもこの(2)を尊重する傾向は見られたと考える。
 現在の精神分析においては特にPhillip Bromberg, Donnel Stern enactment と関連した解離の理論が評価を受けているが、彼らの属する関係精神分析の源流を築いたFerenczi の記述には、(2)の意味での多重の心についての理解を思わせるような記述が多い。Ferenczi の「大人と子どもの間の言葉の混乱やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)」は後世に大きな影響を与え、本論文でも何度か取り上げるが、この論文には解離状態においてあたかも新たな心が生み出され、自律的な機能を有することへのFerenczi 自身の驚きが描かれている。(以下は森、大塚ら訳から)

「精神分析のなかで分析家は、幼児的なものへの退行についてあれこれ語りますが、そのうちどれほどが正しいか自分自身はっきりとした確信があるわけではありません。人格の分裂ということを言いますが、その分裂の深さを十分見定めているようには思えません。私たち分析家は、強直性発作を起こしている患者に対してもいつもの教育的で冷静な態度で接しますが、そうして患者とつながる最後の糸を断ち切ってしまいます。気を失っている患者は、トランス状態のなかでまさしく本当の子どもなのです。」(同p.143、下線は筆者)

この記述は子供の人格状態に対してはそれを個別の人格そのものとして扱うというFerenczi の姿勢が表れているであろう。

「次に、分析中のトランス状態において起こる現象をつぶさに見ていくと、衝撃や恐怖があれば必ず人格の分裂の兆候があることがわかります。人格の一部が外傷以前の至福に退行することで外傷が生じないようにすることにはどの分析家も驚かないでしょう。驚くのは、そんなものがあるとは私などもほとんど意識していなかつた第二のメカニズムが同一化にさいして働くのを知ったときです。衝撃を受けることで、それまでなかった能力が、魔術で呼び出されたかのように前触れもなく突然花開くのです。日の前で種から芽を出させ花を咲かせてみせるという魔術師の魔法を思い起こさせるほどです。最悪の苦難というものには、死の恐怖ならなおさらですが、深い眠りのなかで備給されないままいずれ成熟するのを待っていた潜在的素質を突然目覚めさせ、活動を始めさせる力があるようです。」 (pp. 147-148,下線は筆者)

この記述は解離において新たな別個の人格が新生されるといった現象を驚きを持って記述している。

「成長途上の人間の人生に外傷が積み重なりますと、分裂が増加しかつ多様になり、それぞれの断片が独立した人格のように振る舞って、たがいにほとんど相手の存在を知らなくなりますので、断片相互の接触を混乱なしに持続するのは不可能になります。ついには断片化のイメージがさらに広がり、原子化 atomizationと呼んでおかしくない状態にいたるでしょう。このような状態像に直面しても沈み込まない勇気をもつには本当に大きな楽観が必要です。それでも私は、そんな状態でもなおたがいを結びつける方法が見つかると期待します。」(森ら訳p.148, 下線は筆者)

新たな人格がそれ自身として自立性を有する言葉として、Ferenczi はそれまでの断片 fragment という表現に変えて、原子化 atomizationという表現を生み出している。

現代の対人関係学派ともいえるDonnel Stern Phillip Bromberg は、フロイトの抑圧の概念にまで解離の概念の精神分析的な位置づけを探索した。彼らはWinnicott Sullivan の概念をもとにして解離の概念を再生したのである。その基本概念は、解離されていたものがエナクトメントとして現れるという考えである。そして解離されているものは未構成の思考unformulated thought として理解される。これはある人格状態において心の中で解離されている部分がエナクトメントとして表れ、やがて思考として構成されるというプロセスを描いている。ただしそこで可能性として残されるのは、この未構成の思考は別の人格状態においては構成されているという可能性である。そしてその場合は彼らの理論も事実の二重意識を容認しているのではないかと考えられる。
 その点についての彼らの記述はないが、彼らの言う Multiple self state 多重的な自己状態という形でそれは表されている。彼は「治療のゴールは、いくつかの部分の統合を達成するよう努力することではなく、自分の複数の自己状態への反省的な気付きを維持する能力を高めることだ uch of the goal of therapeutic progress is to achieve the ability to maintain reflective awareness of one's multiple self states, rather than striving to achieve an integration of one's parts.」と言っている。