2020年2月10日月曜日

「読む」を読む 6

 このソマティック・マーカー説で一番分かりにくいのは、身体感覚と感情がある程度同列に置かれていることをいかに理解するか、ということであろう。しかしこれは感情と身体感覚が結び付くという事情が私たちに頻繁に体験されるために、ある程度は直感的に受け入れることが出来る。むろん身体感覚を介しない感情もあり得るであろうし、ましてやすべての感情は身体感覚から来る、という考えは常識的に承服しかねるだろう。ダマシオは、「情動は体という舞台で演じられる、感情は心という舞台で演じられる」(p28,Damasio, A. (2003) Looking for Spinoza. Harcourt,Inc.)と書いているが、どうも「すべての感情は身体感覚から来る」と言っているというニュアンスがある。結局身体と感情がどうして一緒に扱われるかというと、系統発達的には由来が一緒で、下等な動物の場合はこれらが混然一体となっていたはずだからだ。理性の部分は人間のレベルで急速に付け加わったという事情を表していると言ってもいい。そしてポージスの腹側迷走神経の考えは、身体感覚と情動(安心感、恐怖感、不安)などがそこで一体となって制御されているということなのだろう。確かに下等な動物の場合、恐怖と退避行動はこれが区別できないほどに不可分だったであろう。単細胞の場合には危険が迫れば鞭毛を逆回転して必死に逃げるだけだっただろうし、進化につれて感情はその動きの伴奏として生じてきたはずだ。そしてそこには臓器の反応を伴う部分のあったろうし、そこから生じる内受容感覚が不快信号として敏感に体験される個体ほど、生き残る可能性が高まっていたはずだ。では内臓の感覚とはどのように脳で処理されるのだろうか。 あるいはその必然性は?
 ダマシオのソマティック・マーカー説、ポージスのポリヴェーガル理論が注目するのが脳の vmPFC や島皮質ということだ。ダマシオによれば vmPFC はそこで感情(身体?)と理性が統合された形での物事の決断に寄与し、そこが冒されると正しい決断が出来なくなる。そして同部位はボージスによれば、腹側、背側迷走神経が合流する部位であるというのだ。するとそれと島皮質との関係は? 島は内受容と感情を処理し、決断を下す際に重要になるが、ここがいわゆる「セイリエント・ネットワーク」に関係しているのではないか? つまり課題遂行とマインドワンダリングとの切り替えを起こすような、ある種の判断に重要な役割を担っているのだ。
 それにしてもこの感情と内受容感覚の問題、私にもいまいちわかった気がしない。私自身は内臓感覚が感情となる、と言われても、そのままでは受け入れられない。もちろん緊張するとドキドキしたり、胃がキリキリ痛くなったりする。心配事があると空腹感が失せる。しかしそれはむしろ感情が内蔵に伝わってそのような反応が起きるという順番であろうと思う。あるいはショッキングな出来事があった時のように、感情と内臓の変化は同時に起きたりする。これは敏感に感じ取られることもある。例えば風邪の引き始めに「何かおかしい」と感じ、消化不良の際に漠然と胸のむかつきを感じ取るであろう。しかし他方では血糖値が180になっても、そしておそらく血圧が180になっても、私たちは普通は何も痛みや不快感を持たないであろう。(だから糖尿病や高血圧は見逃されるのだ。)ましてや癌の場合内は、臓器がもはや原形をとどめぬほどに侵されても当人は全く気が付かずに過ごして手遅れになってしまうことがある。心は場合によっては内臓に極めて鈍感でもあるのだ。肝心の脳の実質さえも底を針でつつかれても痛みを感じられないのである。
 ではなぜ身体と感情がそれほど重要な結びつきがあるのだろうか。おそらく闘争-逃避に関する運動と情動の結びつきは極めて重要だからであろう。ある他者を目の前にして脅威に感じて鳥肌が立って動悸がしたとしよう。その時は胃の平滑筋もキューっと収縮しているはずだ。その時の身体感覚は情動と深く結びついている、というよりは一体となっているはずだ。他方暖かな家庭のリビングでワンちゃんの背中をなでながらバラエティ番組などを見てまったり過ごしているときは心臓の鼓動も穏やかになり、食欲もわいてくるはずだ。こちらも身体感覚と感情は結び付いている。つまり腹側迷走神経系、交感神経系、背側迷走神経系はそれぞれが緊張した場合には感情と身体感覚とはセットになって体験されるのがふつうである。すると十分敏感な人は、例えば脈拍数の上昇、消化管の緊張から、そこで起きるべき感情を感じ取ることができるだろう。ところが逆にアレキシサイミア(失感情症)の状態だと、感情の方だけ感じ取れずに身体症状だけが進行することになる。これがシフネオスの考えた心身症の機序ということになるだろう。
 ということで最初のテーマである「感情とポリヴェーガル理論」に戻る。ポリヴェーガル理論自身は生命体としての人間が身体感覚や情動をいかに統御して理性的な判断につなげているのか、というテーマに新たなヒントを与えてくれているということは確かだろう。だから本論文は論じる順番としては身体感覚と感情との結びつきを考えるうえで逃走-逃避反応を論じ、ソマティックマーカー理論、ポリベイガル理論、という順に進むべきだろうか。